秋雨&時雨のブログ擬き

限界童貞の徒然なるままに綴った日常譚。

ストイック、ハリネズミのジレンマ、居ていい場所

久しぶりに投稿しようと思う。やはり、人間というものは簡単には変われないらしい。もはや読者などいないブログに今更文章を掲載するのは、時間を超えて自己と対峙するための装置が欲しいからである。他者に見える形で言語化するということから逃げてはならない。それは必ずしもインターネットである必要はないが。

 

お世話になった先輩が卒業する。その事実はプログラムされた既定路線であり、予期することなど誰にでもできたことだが、喪失感とはいつだって遅れてやってくるものだ。追いコンと称した馬鹿騒ぎのあと、先輩からかつてもらった手紙を読み返していた。その手紙は、大学2年の秋冬、僕が人生におけるnadir、どん底にいた頃にもらった一通だ。当時の精神状態は、客観的に言えばDSM-5で言うところのdepressionであった。誰からも承認されないし、認められるような実績も出せない、誰かと笑い合うような居場所も時間もないような状況だった。いくら書き記しても表現しきれない絶望の中にいた。ウィスキーで泥酔したまま雪の上に寝転がり、星を見ながら死のうとして翌朝目覚めるような時期があった。そんな最中に手渡された鯖缶と一通の手紙は当時の自分にとって数少ない他者から贈られた言葉であり、指針となりうるものだった。

その手紙において語られていた「僕」は、以下のようなものだった。

...○○くんのストイックさとか、感じる孤独をバネにする力はすごいと思う。純粋に尊敬してる。でも、いつか君が「居ていい場所がある」っていう事実を、受け入れられる日が来たら嬉しいなと、そう思います。...「居ていい場所」はあるはずだよ。(引用終)

 

「居ていい場所」となりうる人は、その後に少し増えた。泥酔しながら号泣してもう何もかもやめたいと叫んだ日々も、次第に成果へと繋がっていった。傍から見れば、それは順調な船出であった。しかし、自己との対話とは、本来は外部環境が落ち着いてからこそ始まるものであるという古典的なお話を、自分は嫌というほど思い知ることになった。

 

結局のところ、ストイックであることは他者からの逃避であった。自分は他人というものに向き合わず、社会に嫌々適合するために表面的なプロトコルを実装しているだけだった。他者の人格というものから逃避していた。それは自己防衛であり、つまるところ他人に変えられるほど関わることへの不安や拒否反応のようなものだった。だからこそ、他者に提示する自分はストイックでなければならなかった。泥臭くがむしゃらに努力し続ける、必死こいてダサくやってる奴。報われなさそうで、魅力的でもなくて、自己に閉じこもってそうな奴。そういう自己像を構築し、他者に提示することで、他者から「すごそうだけど、怖いし、なんかよくわからない人」という偏見を勝ち取り、そういう人間は表面的な称賛のみをもらうだけで遠ざけられるので、コミュニケーションが取りやすくなるのだ。

 

自分は他人に対して積極的になることもない。それは、自ら他者に干渉することがハラスメントにならないかという忌避感、さらにいえば自分のようなみすぼらしい人間が関わることで不快感を与えないかという懸念で、しかもその懸念は「拒絶されたくない」というあくまで自分本位のものである。他者を思いやる素振りで社会的に誹りを受けないよう予防線を張りながら――誰もお前のことなど見ていないのに――その実、自分のことばかり気にしているのだ。だから、人から誘われない限り誰かと遊ぶこともない。そして当然のごとく訪れる孤独を前に、日々空虚感を抱えながら、目の前の仕事に向き合っている。ストイックだね、と言われながら。

 

他者と関わる口実は、コミュニティだった。コミュニケーションには免罪符が必要だった。自分のような人間が他者と関わらせていただくためには、同じコミュニティに所属していることが必要だった。それらがなければ、何を話したらいいのかもわからないし、関わろうとするときの言い訳も存在しなくなってしまうからだ。しかし、そんな都合のいい場所ももはや消滅してしまった。

 

年上からの誘いは断らなかった。後輩には干渉しなかった。その結果、学生としての寿命が減っていくにつれて、関われる人間が減っていった。結局、ストイックな自己像にしがみついて、その内心の脆弱性を必死に取り繕っていたら、残ったのは孤独だった。手紙の先輩が最後にかけてくれた言葉は「君が私をちょっとは先輩にしてくれたと思う」というものだった。そして、「いつかは後輩を救ってあげてね」というものだった。僕は、いつまでも先輩にはなれないんでしょう。背中ばかり追いかけていることがどれだけ楽かということ。誰にも背中を追いかけてほしくはないのだ、その小ささに気づかれたくないし、いつ傷つけられるかもわからないし、気づいたら誰もついてこなくなってしまうかもしれないなら、最初から最後まで自分は追いかける側でいたかったです。そんな言葉を言おうにも、自分がお世話になった先輩はほとんど消え去ってしまった。

 

最近の日々について話そう。もはや、燃えるようなモチベーションは存在しない。無心で手を動かし、足を動かしている。忙しいかどうかはよくわからないし、プレッシャーやストレスというものがどのようなものであったかもよくわからなくなってしまった。感情の色がだんだんと減っていき、快-不快くらいしか無くなってしまったような感覚もある。趣味もない。散歩すらあまりしなくなって、ジャンクな食べ物を食べたり、睡眠を取ったり、適当に射精したり、3大欲求を雑に満たすくらいしかやりたいことがなくなってしまった。かつて抱いた憧れは次第に殺意に変わり、そして今や何も思うことはない。それでも、始めたことをやめたくはないのだ。続けたいのだ。それはストイックな自己像を今更辞めてしまったら、本当に何もなくなってしまうからである。自分が縋りつけるものはもはやそのくらいしか残っていない。コミュニティもほとんどなくなった。打ち込めるものもない。

 

動き出したら止まらないのだ。内心には孤独が巣食っている。自分と話してくれる僅かな人はいるが、そういう人たちから最近「キツいと感じることがある」とちょこちょこ言われてしまった。ストイックであることは他者に苦痛を与えるらしい。自分が自分に押し付けている自己像であっても、世界に存在している限り自己の中で完結することはなく、世界への向き合い方にその有害性が現れてしまうのだと思う。それは、切磋琢磨して競い合うような攻撃的コミュニティであれば有効に活かされるのだろうけれど、少なくともじっくり相互に対話したいという状況では有害でしかないのだろう。そういうレベルの関わり方をしようと思えるような相手だからこそ、単なるstoicismはもはや有害でしかないのだと思う。ハリネズミのジレンマという言葉がよぎる。

 

本当に居ていい場所はあるんですか。僕が縋りついてきた自己像は、深く関わろうとした相手を無自覚に傷つけ、疲弊させるのでしょう。棘が刺さるんでしょう。でも、今更それをやめたところで、もはや自分にはなにもないのです。疲れ切った肉体、眠気に縛られた鈍い思考、他者を意識すると硬直する意識、空っぽの生活、ガラクタだらけの部屋、通知のこないLINE、心に響かないTwitter、常に雑務やそれに関連して強い叱責を浴びないか今の計画が破綻しないか恐怖する未来予測、寝付けない夜、起きれない朝、ぎこちない義務的な会話、そんな人生をいつまで続けていれば居場所は得られるのでしょうか。その居場所で僕の自己像は他者を傷つけないでしょうか。傷つけても許されるでしょうか。ストイックであることをやめたら次はどんなふうに生きればいいんでしょう。

聞く相手はもういない。答えてくれる人もいない。また明日から空っぽの日々が始まる。空っぽを雑務で埋める。他人と話せた日はどうしようもなく嬉しいのに、規定された自己像しか提示できず、ああまた上辺の褒め言葉、ああまた本音の拒否反応、一線引かれた瞬間の冷や汗、会話が終わるとホッとしている自分がいる。

 

今更死のうとは思わない。でも生きているという実感もない。自分が変われば本当に視界は晴れるのか?世界は変わるのか?

 

とりあえず、ストイックであることを他人に強要しないということを徹底したいと今は思う。他者への諦めこそが、自分が他人というものを無限遠に置き去りにする最後のピースだとは思う。それでも、社会的にうまくやるには、そういう諦観が必要らしい。諦めればいいならじゃあ諦めます、他人に何も求めないようにします、他人が自分に求めてきても自分は求めないようにします。いつか生きる理由がわからなくなって死んでも誰からも興味を持たれないようなクソつまらない人間になってやる。溢れ出る自我をむりやり自意識の中に閉じ込める。他人に漏れていかないように蓋をする。すぐには無理だろうけど、頑張って練習するから、社会の片隅で、石の裏側にひっそりと暮らすダンゴムシのように、それっぽっちでいいから居ていいと思える居場所が欲しい。