秋雨&時雨のブログ擬き

限界童貞の徒然なるままに綴った日常譚。

Meandering Sidewalk

人生は想像していたよりも長い。年を取るにつれ年末の漸近速度がはやまる感覚はすでに経験しているところであるが、その一方でまだ、23歳として働きもせず日々生きていることへの倦怠感を自覚している。

人間は他者と関わることを宿命付けられているが、しかし主観の牢獄に閉じ込められている我々は真に他者を理解することなどできない。哲学的ゾンビが云々と衒学を始めるまでもなく、関わる相手が本当に人間なのか、高性能なChatGPTなのかもよくわからないまま、しかし社会という全貌のよくわからないが大切らしい何かを維持するために、他者を計算に入れて日々行動決定を繰り返している。

孤独だ。

自分が理解したと思った人間から裏切られたとき、やはり人間を信じてはならないのだと5歳くらいの自我が叫んでいた。自分にとって裏切りの原点は家庭にある。親。家庭とは崩壊の具体例だった。夜に叩き起こされて読んだ、甲と乙が主人公の離婚調書という脚本はシェイクスピアよりも退屈だった。お気に召すまま。所詮はall the men and women merely playersである。

裏切りは痛みと喪失を伴うが、それでも信頼を重ねることは麻薬だ。オピオイド受容体に染み渡る甘ったるい空想を愛さなければならない。咳止めシロップよりも甘い。女の子はSSRIとベンゾと素敵なものすべて。男の子はポルノとバイオレンス。カエルを水面に叩きつけ、カタツムリの殻は砕かないといけない。高校の文化祭、標語はBreak the shell. 母親は私に「お前のことだ」と嘲笑ったが、私にとって破壊すべきは家庭に他ならなかった。

裏切りと孤独。愛による粉飾に意味はないが、しかし裏切りとは知覚した瞬間に存在が発生する0/1の二元論である。世界は事実の積み重ね、確からしさのグラデーションであるべきだ。裏切ったかどうかではなく、それは本来文脈に位置づけられるものだ。果たしてそうだろうか。現れたものだけが全てだろうか。

不安定な精神状態を落ち着かせるものは唯一死である。死は救済とのたまうファッションメンヘラお嬢ちゃんも的を得ている。死を忌避してはならない。自殺を止めるマニュアル。完全自殺防止マニュアルこと精神科医のセールストーク、訴訟回避の「死んではならない」に騙されてみるかどうか。劇薬としての死。12月4日のニュース。23歳の学生が死亡しました。死なないで生きなければならない。国民の3代義務はすべて生存に帰せられる。日本国民として勤労して納税をしなければ。統計の数字でしかない、死も生も。帳簿の管理しかしてくれないなんてひどい。もっと管理してほしい。人権いりますか?あ、大丈夫です。愛に値段をつけたらいくらになるのだろう。お金バラマキおじさんに買ってほしい。一緒に宇宙旅行しよう。宇宙で飛び降り自○ってできるんでしょうか。妥協して○とか使うようになったらおしまい。コンプラ気にしたらラッパーとしては終わりらしい。自分は何者だ?ピンクドラムの作ったフレーズで初めて自分の実存を疑うキモいフェイクのアニオタ野郎。全員アニメイトに土葬されちまえ。自分はメロンブックスVtuberのエロ同人誌を買います。純愛セックス。朝目が醒めて真っ先に思い浮かぶ君のこと。思い切って手首を切った/どうしたのって聞かれたくて?リストカットに美学があるかどうか。メンヘラ的あり方にすら美学を語れるなら、それは幸せだと思う。きっと、ラーメンでグルメ気取ってる太った貧しいオタクのような感性だから。そういうものに、私はなりたい。愚行権の行使は上手だけど選挙権は行使したくありません。世界が嫌なので、目も耳も塞いで黙って暮らします。ゴーストになりたい。

死んでも相変わらず退屈な人生だった嬉しい。日本にどうしてジョブスがいないのか。いなくていい、君がいればいい。僕を観測する存在が規定する自分らしさを、再吸収して再現する、再生産の構図。皆が死んで一人になったら私っていなくなっちゃうの?代わりはいる?人格が溶けて一体化する感覚。あなたは死なないわ。私が守るもの。私がいなければあなたは死ぬ?観測されて確定する猫。何回殺されているのだろう、猫。猫が可愛いという風潮はインターネットの共同幻想である。吉本隆明は言いました。嘘です。でも、猫ってそんなに可愛いかな?私のほうが可愛いと思う。猫耳が可愛いなら猫の顔は案外可愛くない。顔がなくてもふわふわで耳がついていればいいなら、マシュマロに毛が生えて耳が揃えばいいのかしら。犬が歩くと棒に当たる。猫は歩かない。私が歩くと道に迷う。お家に帰りたくないのです。家に帰ればそこは牢獄なのです。でも、我々は一人ひとりが主観という監獄に入れられているのです。だから、どこにいっても自由にはなれないのです。そんな世の中だからこそ、私はあなたと愛を結びたいのです。雨降って地固まる。裏切りを乗り越えるのは愛の力です。人間主義的。世界に必要なのはラブロマンスではない。夏の終わり、恋の始まり。恋の終わり、愛の始まり。

包摂されない精神、メタ的な友情

コミュニティにただ埋もれてみたい。素直な欲求があり、それは相反する行動によって常に裏切られてきた。裏切られたとはいっても自分の自己のしたことで、自己責任の範疇を出ない一人相撲である。しかし、いつになっても「しっくりくる」という感覚を得ることができない。

 

家庭や小学校における、自分の人生の最初の12年は、常に「ある第三極」として有り続けたと思う。どうしても、そこには敵と味方しかいなかった。いや、味方というよりは単に「敵ではない」ということを都合よく言い換えただけの、無害なだけの奴と言うべき存在である。つまり人生の最初の方で自分は家庭とか学校とかその種のコミュニティに終ぞ居場所を見つけることなく、諍いと休戦、勢力均衡の末、妥協的に見出された和解、そしてその破綻を迎えるという、どうしようもなく愚かな人間として生きていた。例えばそこに大人たちの愛が欠落していたのかというと、そんなことは恐らくなくて、別に殺されたわけでもないので幾ばくかの愛が会った可能性も十二分に想定されるのだが、それにしては愛のベクトルがぐちゃぐちゃになってしまっていたというか、つまるところ大人も僕も互いを見つめる気などなかったということなんだろう。子への愛が常に子の方を向いているとは限らないし、子が親からの眼差しに対し素直に可愛らしい目線をくれてやるわけでもない。

しかし、そうはいっても自分とその周囲との関係が随分と捻れてしまっていたのは事実であり、その原因はもはやわからないけれど、結論としては自分にとって産まれ落ちた家庭の居心地は最悪であり、小学校においても日々自らの尊厳をかけて馬鹿な大人たちと戦っていたということに尽きる。

 

中高は果たしてどうだったのかといえば、やはり馴染めたという感覚はない。個々人のレベルで言えば人生の中で最も愉快で優秀な人々と触れ合った貴重な時間であったが、しかしあの学校に対して自分は最後まで馴染んだという意識を得ることはなかった。学年に対しても、学校に対しても、どこか浮いた意識だった。所属する先は矢鱈と増やしたが、しかしどこにおいてもアウトサイダー的自意識というか、どこか一線が引かれていて、そこを超えて踏み入ることのできない内輪と外様の境界があって、自分は常にその境界線の向こう側から覗き込んでは少し足を踏み入れ、また離脱し、曖昧な距離感であった。踏み入ろうと思って踏み入ると、なにか違うなと感じてしまった。それは単純な劣等感や優越感とは異なる複雑な感情であり、言語化するなら結局のところ自分はある対立軸を巡る好戦的で挑戦的な関係性、あるいはメタ的に捉えて、その種の関係性を許容できるということに一定の相互の信頼を見出しているのかもしれない。そのことを、戦いにまで発展せずに確認する手段としての煽り合いだったのだろうか。煽りがコミュニケーションの道具として成立するためには愛がなければならなかった。あるいは、対立軸を解消し調和を目指すという形の友情に対して、自分は全幅の信頼を寄せることができないのだろう。それはどのような信頼も他者から裏切られ続けてきた末の防衛的な態度である。対立軸をとりまく友情の関係が破綻したとして、そこでの相互の信頼とはメタ的なものであり、破綻してしまえば簡単に「なかったこと」にできる。つまるところ、そもそも対立していたのだから友情などなかったと言ってしまえば、それははなからなかったことになる。対照的に、「仲がいいのだ」ということが強く意識された関係が崩壊すれば、それはどう言い訳しても言い逃れできない「信頼関係の毀損」であり、もはや自分はそれを直視し向き合うことのできない人間になってしまった。信じて裏切られるというプロセスは人間的成長のために必要であるが、過剰にその経験をしてしまうことは単に臆病な人間を育てるだけであり、まさしく今の自分である。

簡単に破棄できる、なかったことにできる、メタ友情の都合の良さを知ってしまえばもう戻ることはできない。あとはせめて共に過ごした時間の蓄積がその関係を彩り、肉付けし、実質的な意味を持つことのできる内容にしていくことを祈るしかない。

大学では、対立の構造を持つこと自体がある意味で「良くない」こととされている。気づいたら人間関係を維持できなくなっていた。中高ではメタ的な友人関係であっても時間の経過がある程度中身を与えてくれたのだろうけれど、大学ではそうはいかない。自分の内心を巣食う他者への不信や人間関係への懐疑を保ったまま人と付き合っていくしかない。うまく誤魔化し誤魔化しでやっていくしかない。今はどこにも居場所と感じられる場所などないが、それでもこの肉体と精神だけは自分の物だ。図々しく居座って、仕事をこなして、そこに机一つ分で良いから居候させていただこう。どうせ貴方がたの人間関係になど馴染めないし、居場所などないのだから、せめて一人でぽつんと座っているだけの居場所を貰えればそれでいい。あとは互いの仕事ぶりで物語ればいいのだから。それで許しては、もらえないだろうか?

原始の自分を救うために、何者かにならなければならない

最近、高校の同期の名前を目にすることが増えた。受賞や業績、何らかの責任ある立場、就職、輝かしい栄光の一歩目と言えば楽観的か。ともかく、それは喜ばしいことであるし、僕らが共有していた過去において何者でもなかったティーンエイジャーが今となっては何らかの形を得ていくのを感じている。アモルファス不定形であった人間としての抽象的で輪郭の曖昧なエネルギーの塊が、徐々にその熱量を落ち着かせつつ、次第に一定の位置を得ようとしていく、そんなソフトランディングの段階にあるのだろう。これからまさにテイク・オフするのだという意気込みであれ、その空路は定まりつつある。

大学の人々であっても勿論同様ではあるが、中高の人間については、その変化がよりわかりやすい分、どこか底冷えするような感覚を抱いてしまう。それは置いていかれてしまうのではないかという焦燥であり、とっくに失われたかつての日々が本当にもう失われたのだということを再確認させられる寂しさ、自分が仮に過去に拘泥したとしてもすでに不可逆的な変化が起こり始めてしまったのだから取り返しはつかないのであるという絶望、自分は彼らが彼らの道で遂げるような発展を、それとは違う形であれ自分の人生においても得られるのだろうかという不安、そして自分が将来夢に破れたり現実の前で疲れ果ててただ妥協的な毎日を消費し死を待ち続けるだけのくだらない人間に成り果て、誰とも向き合えなくなってしまわないだろうかという恐怖、それらの混ざったような感覚がまとわりついている。

 

あの高校を卒業してから5年目になるが、ようやくかつての自分から一定の距離をおいて見つめ直し、それを言語化できるようになった気がする。

僕は家庭環境においてやや複雑な側面を持っており、小学校も同様であったから、中高というのは逃避先だった。第一義的にそれはシェルターであった。話の通じる人間が世界にこれだけ存在しているのだということ自体が救いだった。しかし、自分は他人というものがどうしようもなく怖かったものだから、自分のごく素朴な側面を外部に提示するということはほとんど不可能であったのだと思う。それは多分に防衛機制的であり、家庭や小学校において形成された「孤高で反逆的な人格」の側面があった。あえて言えば解離的な側面が少しばかりはあったのかもしれない。少なくとも、より幼い頃の自分は、全てに対して万全の信頼を寄せるような純粋さがあったと思う。そしてその無警戒な部分は常に保持されていたけれども、自分の最も素朴な部分を提示しては負のフィードバックを受け続けたことでむしろ反動的に他者を寄せつけようとしないバリアができあがっていた。それはもう自我を獲得した7歳頃には出来上がっていたと思うし、親という最大の外部存在、あるいは敵との闘いを繰り返す中で洗練されていった感覚がある。

中高においてもやはり同様の「人格」があったと思うし、それらは口論や交渉を好み、扇動や折衝を通じて他者との関わりを得て、露悪的あるいは道化的であるよう努めることで、むしろ内面の部分が空疎である「ということにしている」感覚があった。わかりやすく「本当の自分」が存在しているわけでは全くなかったが、しかし人格のレイヤーとして中高の頃には終ぞ表に出ることのなかった部分が確実に存在していたと思う。

同様の状態のままに大学に進学し、そこは程々に過ごしやすく程々に地獄であった。入学当初は、中高の人格のレイヤーの表面にさらなるコーティングを意識的に行おうと努めていたが、それはすぐに破綻し、破綻してもなお強く自己を制御しようと試みるうちに感染症の影響で他者との交流のほとんどが途絶した。やはり最初の一年間で相当無理をしていたのだろうけれど、2年生以降はひたすらにメンタルの不調に悩まされていたし、かつて外側に向けていた攻撃性の方向が完全に逆転して自らを攻め続ける内面世界が確立されていた。

やはり、家庭や小学校での日々を通じて形成され、中高の日々を支えていた人格/自己という装置はそれだけで生きていけるほど長続きするものではなかったし、そしてそれを無くしてどう生きていけばいいのかという指針など全くなかった。自分を責め続けることで何かが変わるかもしれない、という望みが救いであった部分もあるのだと思う。ひたすらにそのような日々を過ごしていた。その日々を繰り返す中では自死を選択肢として常に検討していたが踏ん切りがつくということもなかった。

今現在では、ゆっくりと自己理解を深めながら、他者と細々とした交流のみを持って、精神的隠居の状態にある。解離というわけでもないので、自分の人格におけるいくつかの排他的な要素が、どうにか落ち着いて1つのあり方に着地されないものかと試行錯誤している。やはり、根本から自閉的な部分はあるのだろうし、コミュニケーションにおける他者への不信が根底にあるのは疑いようのないことであるから、自分にとって数少ない他者との関わりがある側面においてはリハビリテーションとなっているのだろう。

何者かになりたいという願望は、自分の場合には誤魔化し続けてきた内面世界の破綻を発展的に解消したいという切なる願いであったのかもしれない。だとすれば、自分が本当の意味で、客観的に「何者かになる」のは、遠い未来のこととなりうるだろう。そのときまでに、自分の周りの人たちはいち早く先へと進み、背中しか見えなくなっているのだろうか。他者への関心が薄い割に、自分の矮小さを思い知らされるときだけ都合よく尺度としての他人に目を向けてしまうのは、社会的動物たる人間としての自分に内在する愚かさであるよなあと痛感する。

かつて中高の頃に願っていた自己実現の欲求とは、もっと昔の小さな自分を救ってあげたいということでもある。露悪的かつ道化的なレイヤーの下に眠る、おそらく遠い昔には全面に出てきていたであろう朴訥な自分の原始の部分があって、それがほとんど死んでしまっているのは世界がクソだからであるわけだが、クソに適応するためにクソまみれになってしまったから余計にコアの部分は奥の方へと埋もれてしまったような感覚があり、せめてもの手向けとして、当時の自分が受け続けていた苦痛は未来において大成し自由に活躍するための動力になったのだ、決して無駄死にではなかったのだということを、明らかにしたいのかもしれない。ともかく、ここまで蓄積され続けてきた他者への不信や憎悪とか、下らない社会への不格好な適応とか、その裏で殺されてきた自分の一側面とか、すべてを大団円で終わらせるためにまだまだ終わるわけにはいかない。

どこまでも自分のために、自分が報われるために藻掻いてみたいと思う。他人の遠ざかる背中を見て絶望しても歩み続けるしかないし、そんなものはそもそも何度だって感じてきた。苛烈に努力しても第一志望の中学に受からず駅のホームから身投げするか考え詰めたとき、クソみたいな家庭から逃げるために可能性を潰して進学先を選んだときも、どれだけやってもまともなデータが得られず誰からも馬鹿にされていたときも、止まらずにただひたすらやり続けてきた。

そして最近ようやく自分は生きていいのだ、呼吸していていいのだと、生きていてもいいのかもしれないという実感を得ている。それは、自分のような人間は死ぬべきであるという長年つきまとってきた強迫観念からの部分的な解放である。その強迫観念こそが努力の原動力だったことを考えると今後の失速は免れないのだが、過去の自分を救うためにもまだまだ終わるわけにはいかない。

中学生のとき、急に涙が止まらなくなった日があった。家で夕食を食べ終わったあと、急に感情の爆発が起こって、自分は小学5年の頃にひたすら当時の担任から虐げ続けられていたのだが、そのとき初めて過去のことを親に告げてみたところ、なぜ当時言わなかったのかと叱責されてしまった。それはあなた達への信頼が全くないからだと返すと、余計に激昂させてしまい、ああやはりこの人たちはどうしようもないなと、今度は冷え切った内心の中でまた一つ絶望が増えたような感覚があった。

そもそも、最初に原始の自分を追い詰めて殺したのはあなた方であるということを、大学に入ってから親に告げることができた。忘れもしない日であった。親からされたことをすべて思い出し、極力感情を殺しながら淡々と突きつけ続けていたら、数時間が経った頃には親が号泣していた。それは反省ではなく親という自己像の崩壊であり、すぐに責任転嫁が始まってしまった。絶望の債務整理をしても新しい絶望が降ってくるだけだった。家を出たことで客観視できるようになったのは自分だけだった。向こうは全く自己像を打破することなく、そこに拘泥すらしていた。

小学校のクソみたいな教師のところに押しかけてすべてを精算できたらどれほど救われるんだろうと夢想することがある。しかし、親相手のケースを考えればこれもきっと無駄足なんだと思う。

救われるためには過去の精算ではなく、未来へと向かう圧倒的な質量の努力と結果が必要だ。前へ先へと身を乗り出して没頭しなければならない。死ぬほど馬鹿にしてくれた、否定してくれた親や教師、クソガキ、見る目のない馬鹿共に中指を立て唾を吐きかけながら、心の奥底に眠る死にかけの自分に救いの手を差し伸べてやらなければならない。君が耐え忍んでいた日々は必ず報われるのだと残りの人生で証明しなければならない。

ストイック、ハリネズミのジレンマ、居ていい場所

久しぶりに投稿しようと思う。やはり、人間というものは簡単には変われないらしい。もはや読者などいないブログに今更文章を掲載するのは、時間を超えて自己と対峙するための装置が欲しいからである。他者に見える形で言語化するということから逃げてはならない。それは必ずしもインターネットである必要はないが。

 

お世話になった先輩が卒業する。その事実はプログラムされた既定路線であり、予期することなど誰にでもできたことだが、喪失感とはいつだって遅れてやってくるものだ。追いコンと称した馬鹿騒ぎのあと、先輩からかつてもらった手紙を読み返していた。その手紙は、大学2年の秋冬、僕が人生におけるnadir、どん底にいた頃にもらった一通だ。当時の精神状態は、客観的に言えばDSM-5で言うところのdepressionであった。誰からも承認されないし、認められるような実績も出せない、誰かと笑い合うような居場所も時間もないような状況だった。いくら書き記しても表現しきれない絶望の中にいた。ウィスキーで泥酔したまま雪の上に寝転がり、星を見ながら死のうとして翌朝目覚めるような時期があった。そんな最中に手渡された鯖缶と一通の手紙は当時の自分にとって数少ない他者から贈られた言葉であり、指針となりうるものだった。

その手紙において語られていた「僕」は、以下のようなものだった。

...○○くんのストイックさとか、感じる孤独をバネにする力はすごいと思う。純粋に尊敬してる。でも、いつか君が「居ていい場所がある」っていう事実を、受け入れられる日が来たら嬉しいなと、そう思います。...「居ていい場所」はあるはずだよ。(引用終)

 

「居ていい場所」となりうる人は、その後に少し増えた。泥酔しながら号泣してもう何もかもやめたいと叫んだ日々も、次第に成果へと繋がっていった。傍から見れば、それは順調な船出であった。しかし、自己との対話とは、本来は外部環境が落ち着いてからこそ始まるものであるという古典的なお話を、自分は嫌というほど思い知ることになった。

 

結局のところ、ストイックであることは他者からの逃避であった。自分は他人というものに向き合わず、社会に嫌々適合するために表面的なプロトコルを実装しているだけだった。他者の人格というものから逃避していた。それは自己防衛であり、つまるところ他人に変えられるほど関わることへの不安や拒否反応のようなものだった。だからこそ、他者に提示する自分はストイックでなければならなかった。泥臭くがむしゃらに努力し続ける、必死こいてダサくやってる奴。報われなさそうで、魅力的でもなくて、自己に閉じこもってそうな奴。そういう自己像を構築し、他者に提示することで、他者から「すごそうだけど、怖いし、なんかよくわからない人」という偏見を勝ち取り、そういう人間は表面的な称賛のみをもらうだけで遠ざけられるので、コミュニケーションが取りやすくなるのだ。

 

自分は他人に対して積極的になることもない。それは、自ら他者に干渉することがハラスメントにならないかという忌避感、さらにいえば自分のようなみすぼらしい人間が関わることで不快感を与えないかという懸念で、しかもその懸念は「拒絶されたくない」というあくまで自分本位のものである。他者を思いやる素振りで社会的に誹りを受けないよう予防線を張りながら――誰もお前のことなど見ていないのに――その実、自分のことばかり気にしているのだ。だから、人から誘われない限り誰かと遊ぶこともない。そして当然のごとく訪れる孤独を前に、日々空虚感を抱えながら、目の前の仕事に向き合っている。ストイックだね、と言われながら。

 

他者と関わる口実は、コミュニティだった。コミュニケーションには免罪符が必要だった。自分のような人間が他者と関わらせていただくためには、同じコミュニティに所属していることが必要だった。それらがなければ、何を話したらいいのかもわからないし、関わろうとするときの言い訳も存在しなくなってしまうからだ。しかし、そんな都合のいい場所ももはや消滅してしまった。

 

年上からの誘いは断らなかった。後輩には干渉しなかった。その結果、学生としての寿命が減っていくにつれて、関われる人間が減っていった。結局、ストイックな自己像にしがみついて、その内心の脆弱性を必死に取り繕っていたら、残ったのは孤独だった。手紙の先輩が最後にかけてくれた言葉は「君が私をちょっとは先輩にしてくれたと思う」というものだった。そして、「いつかは後輩を救ってあげてね」というものだった。僕は、いつまでも先輩にはなれないんでしょう。背中ばかり追いかけていることがどれだけ楽かということ。誰にも背中を追いかけてほしくはないのだ、その小ささに気づかれたくないし、いつ傷つけられるかもわからないし、気づいたら誰もついてこなくなってしまうかもしれないなら、最初から最後まで自分は追いかける側でいたかったです。そんな言葉を言おうにも、自分がお世話になった先輩はほとんど消え去ってしまった。

 

最近の日々について話そう。もはや、燃えるようなモチベーションは存在しない。無心で手を動かし、足を動かしている。忙しいかどうかはよくわからないし、プレッシャーやストレスというものがどのようなものであったかもよくわからなくなってしまった。感情の色がだんだんと減っていき、快-不快くらいしか無くなってしまったような感覚もある。趣味もない。散歩すらあまりしなくなって、ジャンクな食べ物を食べたり、睡眠を取ったり、適当に射精したり、3大欲求を雑に満たすくらいしかやりたいことがなくなってしまった。かつて抱いた憧れは次第に殺意に変わり、そして今や何も思うことはない。それでも、始めたことをやめたくはないのだ。続けたいのだ。それはストイックな自己像を今更辞めてしまったら、本当に何もなくなってしまうからである。自分が縋りつけるものはもはやそのくらいしか残っていない。コミュニティもほとんどなくなった。打ち込めるものもない。

 

動き出したら止まらないのだ。内心には孤独が巣食っている。自分と話してくれる僅かな人はいるが、そういう人たちから最近「キツいと感じることがある」とちょこちょこ言われてしまった。ストイックであることは他者に苦痛を与えるらしい。自分が自分に押し付けている自己像であっても、世界に存在している限り自己の中で完結することはなく、世界への向き合い方にその有害性が現れてしまうのだと思う。それは、切磋琢磨して競い合うような攻撃的コミュニティであれば有効に活かされるのだろうけれど、少なくともじっくり相互に対話したいという状況では有害でしかないのだろう。そういうレベルの関わり方をしようと思えるような相手だからこそ、単なるstoicismはもはや有害でしかないのだと思う。ハリネズミのジレンマという言葉がよぎる。

 

本当に居ていい場所はあるんですか。僕が縋りついてきた自己像は、深く関わろうとした相手を無自覚に傷つけ、疲弊させるのでしょう。棘が刺さるんでしょう。でも、今更それをやめたところで、もはや自分にはなにもないのです。疲れ切った肉体、眠気に縛られた鈍い思考、他者を意識すると硬直する意識、空っぽの生活、ガラクタだらけの部屋、通知のこないLINE、心に響かないTwitter、常に雑務やそれに関連して強い叱責を浴びないか今の計画が破綻しないか恐怖する未来予測、寝付けない夜、起きれない朝、ぎこちない義務的な会話、そんな人生をいつまで続けていれば居場所は得られるのでしょうか。その居場所で僕の自己像は他者を傷つけないでしょうか。傷つけても許されるでしょうか。ストイックであることをやめたら次はどんなふうに生きればいいんでしょう。

聞く相手はもういない。答えてくれる人もいない。また明日から空っぽの日々が始まる。空っぽを雑務で埋める。他人と話せた日はどうしようもなく嬉しいのに、規定された自己像しか提示できず、ああまた上辺の褒め言葉、ああまた本音の拒否反応、一線引かれた瞬間の冷や汗、会話が終わるとホッとしている自分がいる。

 

今更死のうとは思わない。でも生きているという実感もない。自分が変われば本当に視界は晴れるのか?世界は変わるのか?

 

とりあえず、ストイックであることを他人に強要しないということを徹底したいと今は思う。他者への諦めこそが、自分が他人というものを無限遠に置き去りにする最後のピースだとは思う。それでも、社会的にうまくやるには、そういう諦観が必要らしい。諦めればいいならじゃあ諦めます、他人に何も求めないようにします、他人が自分に求めてきても自分は求めないようにします。いつか生きる理由がわからなくなって死んでも誰からも興味を持たれないようなクソつまらない人間になってやる。溢れ出る自我をむりやり自意識の中に閉じ込める。他人に漏れていかないように蓋をする。すぐには無理だろうけど、頑張って練習するから、社会の片隅で、石の裏側にひっそりと暮らすダンゴムシのように、それっぽっちでいいから居ていいと思える居場所が欲しい。

この度、時雨を卒業しました

ある学園を卒業した人間がいた。これは男子校、6年の監獄的猿山、異常の最下層を決する逆ピラミッドの呪いから抜け出せずにいた男の話である。

中学と高校は連結した一つの学園であり、その空間は強烈な個性のマウンティング会場だったことを印象強く覚えている。それはホモソサエティ的で、フェミニストが見れば発狂し、当時の言動はもし僕が総理大臣になったら3秒で文春がすっぱ抜いて垂れ流すこと間違いないネタの宝庫である。それらは露悪で、あるいは欺瞞で、あるいは偽善で、自己陶酔と自己嫌悪の自家撞着だった。攻撃性の刃は研ぎ澄まされて、例えばリアル、例えばTwitterで、その鬱憤のエネルギーは、ルサンチマンの結晶は、射精のごとくぶちまけられた。まあ、そんなゴミクズの精子も、2億個を毎日何百回も巻き続ければ、1000人余りのFFが構築されるのだ。このブログも、総アクセスが1万を超えた。そのうち、時雨は10万ツイートを超えた。100万回イキッた高校生は、相も変わらず抱えていた自己に対する不信感を、全て世界へのヘイトに還元することで、実際のスペックを凌駕する外面を実装して、そのまま惰性的に次のフィールドへと移行した。

新天地では伸展もなく、持て余した負のエネルギーをもてあそんでいた。社会性を実装しつつ、溢れ出る異常性はとめどなく、相変わらずの人間性が、またもや奇特な人々を引き付けた。いやまあこのあたりの自覚はないが。しかし、本質的な人間としての変化を遂げることはなく、中高という箱庭を脱してしまった空虚な内心を埋めるがごとく専門の知識を詰め込んでいるうちに、気が付くと1年生が終わっていた。周囲にいる人間は、気が付けば異常者ではなく、僕という人間のいびつさを認識しつつ、それでも支えようとしてくれる本当に異常な人間しかそこには残っていなかった。気が付けば、僕は牙も棘も抜け落ちていくのに、かつてそこにあった時雨という虚像に対して拘泥し、偽悪的な自己を自分に提示しつづけることで、人間としてつまらなくなっていく己の有様から目を背けていたのかもしれない。

2年になると、世界は感染症により激変した。人間関係はズタズタに引き裂かれ、孤立化して浮かび上がったのは己の人間としての醜さだった。あまりにも何もなかった。異常性に引き寄せられた人間とは所詮は観客であり、ショーが終わればそこには誰もいなくなってしまう。サーカスの幕を下ろせば、がらんどうの客席がやけに寂しい。内心の孤独を埋める手段を喪失して、僕を支えていたルサンチマンと努力の負のループはぶっ壊れてしまった。そこからは、それまで中高の間は外部に向け続けていた攻撃性のベクトルが逆転し、自己免疫疾患のごとく己の構築してきた精神性が己の構築してきた論理武装によって爆撃されて崩壊していく過程だった。あまりに滑稽である。酒におぼれ、落ちこぼれ、色々なことを投げ出して、身すら投げ出して、首つり練習に勤しんだ。希死念慮をすべて文章に書いた。それでもゾンビのごとく日々のタスクを消費していた。そんなとき、死ぬ前に話しませんか?という声に誘われて、導かれるままに契約彼女ができた。......あれ?僕が書いていたことは、呪うように語ったことは、この存在によって最後のピースが埋まるように完成し、作り上げた自虐の為の論理体系―——それは特別な承認者の不在を前提としていた―——が全て逆転し、完全に自己肯定を果たせるようになったのでは?つまり、そういう相手のいない自分という出発点が自己否定の重大な要素の1つであったことから、いざできてしまうと、それまでさんざん自身に向いてきた攻撃性のかなりの部分が解消されてしまうのでは?これは革命的な転回だった。こうして、中身の伴わない契約が成立した。

中身のない器があるならば、中に何かを埋めたくなる。そうして埋めたところで、所詮はある種のロールプレイで、駄作以下のTRPGである。スカスカの綿のごとく埋めていったその中身は本当に空虚で、本来は溜めたかった水のうるおいはどこにもなく、パッサパサの間質がただそこにはあった。現実の前で、ただ虚しさと、幸福感の贋作を胸に抱いていた。論理的に与えられた感情はぱさぱさで、食べられたものではなかった。

そうしているうちに、連絡もとらなくなった。ある日、数年来の付き合いの人と会うことになった。その相手となんやかんやあって付き合うことになった。セミロングの黒髪が似合う女の子だった。遠距離の関係性がスタートした。そしてある程度色々喋っているうちに、もはや明らかに書くつもりもないが、関係性の形式に満たされるべき感情を得たような感覚がしみ込んできた。こういうものが人間的な水分で、それを得ることで自分の渇水がより相対化され、強く認識されるようになるのか。あまり感情それ自体を描写するのは気乗りしない―——というのも、そういうものを詳らかにするのはあまりに精神的羞恥を伴うのである―——ので、周辺的な話をするにとどめておこう。停止した歯車が動き出しているのを感じているから、まあ別れるまでは精々黒歴史を垂れ流していこう。これからは、人に見えないところで。

 

まあ、時雨は死んだんだろう。あの芸風も今はやれないし、あのアカウントも今は全て消えた。当時から自分のアカウントを見ていた人間は(中高同期を除けば)今やほとんどFFにいないし、もうここまで凡俗に成り果てた自分は、完全にあの中高、あの当時の人格とは、不可逆的で非連続な質的変化を遂げてしまった。そして、過去の自分を否定して、今の自分を肯定してくれる人間が現れたことは、今の僕にとっては純粋に100%の救いだったのだ。ずるずるとつづけたアディショナルタイムも、もう終了だ。これからは地に足をつけて生きなければならないし、中二病もいい加減に根治させてやりたい。

このブログで、過去の自分の、特に恋愛とか承認欲求にたいする文章を読み返すと、それはそれで論破したくなる欲求にかられる節はあるけれど、もはやこの種の問題は議論によって見解の一致をみるものではないし、少なくとも当時、自分が抱えていた苦悩や、絶望や、そういうものは、間違いなく本物の感情だったのだ。過去を否定することは過去の自分がまさに抱いていた切なる感情の全てを否定することではない。むしろ、そういうことを全て理解した上で、それでもお前の言っていることは違っただろ、と突きつけることが、過去の否定なのだと思う。

最近、幸せになるために努力したいと思えるようになった。ルサンチマンで努力する地獄からようやく抜け出せた気がした。他人のことなど本質的にはどうでもよかったのに、自己否定の道具として利用するためにわざわざ他人を利用するのもやめた。人生を等身大で生きるしかないと悟ったのだ。

劇的な人間的変化は、大学2年間と少しの間、少しずつ棘を削り取ってくれた人間や、ひたすら自分を見つめ続ける作業を続けた自分自身、そして一度は尖るだけ尖りきって世界を嫌いに嫌った過去の自分が為したものなのだと思う。だから時雨にはそろそろ死んでもらわないといけない。最後に残った時雨の残滓がこのブログだから、ここらで筆を置いて、もう更新は停止されるだろう。いつになるかわからないけれど、昔こんなこともあったっけな、と馬鹿みたいに笑って過ごしているといいなあと、牧歌的なことをなんとなく思っている。まあ、このとおり、丸くなったものだ。自分でも笑ってしまう。

5月、初夏の涼しげな風が運ぶ香りと共に。

この度、時雨を卒業しました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

なんてね。ほぼ全部ノンフィクションです。

20年のどこで間違えてしまったんだろうか

成人した。クソすぎる。人になどなりたくなかった。というか、まさか本当に人生で一度も彼女ができないとは思っていなかった。なんだかんだで空から美少女が降ってくると思っていたし、角でイチゴジャムの塗りたくられたパンを咥えた女子大生とぶつかって始まるラブコメがあると思っていた。ある日、死にかけの吸血鬼を救って始まる青春群像とか、大学のサークルに未来人とか超能力者とか異世界人とか宇宙人がいるのだと思っていた。もしかすると脳内に選択肢が提示されるようになるのかもしれない、とか、クトゥルフ神話をモチーフとした美少女たちとパロディ塗れの日々を過ごしていたのかもしれない。ひょっとしたら隣の家の大金持ちの娘と同じ大学になって互いの好きな人との仲を応援しあっていたら自分たちが惹かれあう関係性が実現していたのかもしれない。隣の席の女子にからかわれ続け将来的に結婚する未来もありえた。トラックにひかれて異世界に転生して堕落した女神やロリ魔法使い、淫乱女騎士と冒険していたのかもしれない。アイドルグループのプロデューサーとして女の子たちの情熱と青春の衝突を陰ながら見守っていたのかもしれない。ああ、ifの可能性を考えれば考えるほどに現実の惨めさが際立つ。

現実を見ろ。お前は某政令指定都市の一角にある安アパートの、取っ散らかったワンルームで日々勉学と睡眠を繰り返している。時々性欲を発散したりコンテンツに浸り現実逃避をすることくらいしか娯楽はない。勉学に励むことが何か免罪符になると未だに思っているのか。勿論医大生は勉強すべきだが、単位をとる以上の勉強ははっきり言って趣味の領域だ。そして今の自分には趣味以外にやるべきことはないのか。お前の20年間はどこまでも自分本位だったじゃないか。何を現実に生み出した?何を変えた?何を残した?自殺願望があるのは結構だが、今すぐ窓から飛び降りたときに1週間たったら誰もお前の話はしなくなるだけだ。その程度のプレゼンスしかないのに死にたがるなんてそんな贅沢な話はない。誰かを救ったのか?誰かに影響を与えたのか?何か実績は残したか?どれだけ努力しても誰かの下位互換であることに変わりはないが、じゃあお前の上位互換と下位互換はどっちが多いんだろうな?

そもそも自虐という行為の生産性は0だという現実を知っているはずなのに、自虐の対象にならない自分を作ろうとしたことはあったのか?日々の努力の方向性と量のアセスメントは怠ってないのか?そもそも多方向に延びた努力に意味はないぞ、お前は将来何をやりたいんだ?まあお前はこういう質問に答えるのは得意だろうさ、じゃあ具体的に何をした?何もしていない。こんな人間が人に成ったと偉ぶったところで世界の笑いものになるだけだ。

ああ、最終目標は承認されることだよな。でもお前が承認されることはない。だってその理由が存在しない。いいところがないし他人に報いることをしてこなかった人間が誰かに認めてもらえたり受容されたりするわけがないだろ。20年間自分のことで手一杯だった程度のスペックの人間が今更他人を背負い他人に背負われようとするなよ。わかりやすく言えばお前を恋愛的な意味で好きになる人間は存在しないし、ただ単にショッキングな言動のセンセーションでなんとか最低限の影響力を確保してきただけなんだよ。そういう中身空っぽで表面的な装飾だけで生き抜いてきた人間は本当に空虚なんだよ。小中高くらいはギリギリお為ごかしでやってこれたかもしれないがもうその手法は通用しないぞ?キャパシティも凡人、努力量も凡人、コネも凡人、仕事の丁寧さも凡人、取り柄がないから言動を上手くコントロールして扇動という不確定要素を持ち込んでゲームを動かすやり方はいい加減に通用しないんだよ。お前は本質的に無能で、文字通り能力を持たないんだ、だからここで終わりなんだ。医師免許とかいう偏差値だけ高い人間がある程度の収入を得るための保険をゲットしてそのまましょうもない臨床医として生きて野垂れ死ぬだけだ。お前の高校同期や大学同期の一定数も同じような末路になるだろうが、逆に言えば一定数はお前を遥かに凌駕して大成するだけだ。

いやでもお前はまだどこかで期待しているはずだ。それでいい。一生幻想の中で生きて死ねばいい。お前はどこかでヒロインを待ってるんだよ。理想のヒロイン。承認してくれて、支えてくれて、励ましてくれて、受け入れてくれる存在だよ。顔もよければ中身もいい。そういう存在を待ち望んでるんだろ。現実に存在しないレベルでスペックを釣り上げて、それを理由に自分から現実を見限ったような風を装う割に、実際のところはお前が現実から見捨てられてるだけなんだよ。まあそれくらいは高校の時から自覚してるよな。でもあえて気づかないふりをして理想のヒロイン像を構築して妄想してオナニーするのは楽だし気持ちいいもんな。一生そうしていれば他人に迷惑はかけないし、排斥されることはないから、実際そういう人間の取るべき最善択は現実逃避だと思う。

さて、どんなヒロインがいいんだっけな?昔散々お前が挙げていた項目、全て覚えている。しかしその中で本質的に重要なことは何なのだろうと考えるよな。それはエピソード、つまり物語性なんだと思う。

別に彼女がフランス文学に精通している必要はない。というかお前も別にそこまで仏文読むわけじゃないだろ。どっちかといえばドイツなりイギリスなりの方が読んだ冊数で言えば多いはずだ。それなのにあえての仏文というチョイスは、自分の知らないことを彼女に優しく教えてもらいたいというある種の赤ちゃん返り的現象の1つなんだろう。他人に教えを乞うということは典型的な服従の一形式だ。でもそれはお前がフェミニストだからでもマゾヒストだからでもない。本能的に自分が他人に教えることなど何もないと理解していたからこそ、服従する側でいられる相手が欲しかっただけの話だ。フランスとか文学とかそういう要素はお前の衒学的な装飾の要素でしかない。別にその内容は古典力学でもアメリカ政治でもマクロ経済学でもいい。要は教えてもらうというイベント自体が重要だったわけだ。それはお前の無力さの裏返しにすぎない。

或いはこんなのもあったよな。高学歴だったか。これも同様だ。つまりお前は馬鹿な女と対置されることで自分がそんな女よりもどうしようもなく無能で馬鹿な存在であることが明確になることが嫌なだけなんだろ。最初から自分以上のスペックの人間を欲することは、自分がその相手と並べられたときに劣るスペックであることを正当化してくれる。そういう打算があったんだよな。

見た目の問題も同じようなものだろ。過度に美的なものを求めるのは、一緒に並んだ時に同じ程度の醜悪さの人間と並んでいたらそれは恋愛市場で同じ価値を持つ人間がマッチングしただけだもんな。お前の持論ではそんなものは生殖のための構造にすぎない。お前が欲しいのは生殖ではなく愛なんだよな。その気持ちはわかるよ。でもな、お前は外見も内面もクソなんだから、内面ならだれかに認めてもらえるとかそういう幻想は捨てておくべきだったよ。中高の頃もうすうすわかってたんだろうがそれでもどこかで一縷の望みを感じてたんだろうな。もうわかっただろ、そんなものはあり得ないんだ。

結局お前が理想のヒロインとして挙げてたものの大半は、悪趣味な衒学とか、自身の無力感とか、生殖と切り離された愛への信仰とか、そういうしょうもないものから構成され派生していたに過ぎなかったというわけだな。要は現実の女性になんかお前は最初から興味がなかったんだ。理想のタイプといってあげていた項目はお前自身の写し鏡で、お前は理想のヒロインの話をするとき現実の自分の姿を本当は捉えていたし、表現していたんだ。

ずーーーっとそうなんだ。お前は他人と向き合ってこなかった。他人を人間だと思わず、社会という機構の中で何等かの機能を実行する素子くらいにしか思ってこなかったんだよな。世界に人間は自分一人だと、少なくとも主観セカイにおいてはそれが本質的だと今でも思っている。だから他人と向き合うときに何を見つめたらいいかもわからないし、それは逆にいえば人間を求めれば求めるほど自分自身に縋るしかなくなるということなんだよな。世界に人間性を感じさせてくれるのは自分だけだものな。

結局お前は人間と向き合ってこなかった。向き合っているようで、相手との関係性の解釈に逃げていたというのが実情だよな。相手単体というより、相手と自分の間柄をどうとらえ、どう向き合うかということばかりに注力してきた。結局相手という人間そのものを把握せずとも、相手が発するコミュニケーション上のシグナルを解釈していれば関係性は(ある程度)構築できてしまう。そうやって表層的なコミュニケーションの遊戯ばかりやっていたら、その先に続くはずの「人間」を何時の間にか見失っていた。関係性しか見れないのは、結局自分本位な世界の解釈しかできないという点に尽きる。

理想のヒロイン。結局のところ自分を泥沼から救い上げてくれる存在が欲しいんだろう。僕が理屈を捏ねても全てを論理や情動で破壊し、僕という人間自体と向き合ってくれて、本気で変えようとしてくれる存在が欲しいんだろう。具体的な要素はもはや問題ではない。或いは、性別すら問題ではないのかもしれない。思えば性欲は女性で果たしてきたが、恋愛感情を一度も感じたことがない、というのは僕が実際のところ恋愛という一側面において本当に異性愛者なのかという疑問を投げかけている。そもそも恋愛感情を感じたことがない、というのは、感じた感情にこれが恋愛感情だよという符号を与えなければ把握できないのではないかという疑問にもぶち当たる。周囲の人間が自然に把握してきた恋愛という感情が僕にとっては理解できていない。この時点で本当に欠陥人間だと思うのだが、大学に入っても未だに恋愛という感情を感じられたことがない。

受容者、理解者、救世主、そういう存在が欲しいとは切に思うけれど、じゃあそういう存在に恋愛感情なるものを抱くのかと言われれば未知数である。全くわからないと言わざるを得ない。それは親友とか恩師とかではだめなのか。恋愛感情なるものはどうやったら得られるのか。男子校出身者が大学であいさつされただけで惚れるという話を信じていたのに、僕は誰からあいさつされても特別な感情が発生しないのだ。どうすればいいんだ。恋愛をしようにも、周囲の人間がやっており一定の社会的達成目標ともされる恋愛という行為をしようとも、そもそもその動機たる感情が湧き起こらないのだからどうしようもないじゃないか。それなのに周囲はますますその毒牙にやられていく。猫も杓子もその連関に取り込まれていく。全く共感できない。僕が他人の人格と向き合ってこなかったことが原因なのだろうか。そのせいで、つまりこの20年間の自分本位が祟って誰もが手中に収めている恋愛感情なるものを喪失してしまっているのだろうか。では、それは何かスイッチがあれば回復するのだろうか。そのスイッチは何なんだ。何もわからない。

自分本位という生き方が自分の行き詰まりの根本原因だとわかっても、もうやめられないんだよな。20年もやってたら癖はしみついてしまう。どうしようもなく足を縛る。なあ、僕はもう理想のヒロインの話なんてしたくでもできなくなってしまった。なんでもいい、理解者をくれ、受容者をくれ、恋愛感情をくれ、別に彼女が一生できなくていいから、性欲なんかじゃない本物の恋愛感情をくれ。もはやそれ以外に何も言えなくなってしまった。片思いは両想いより幸せとか言ってた某作品のヒロインがいたけれど、そもそも片思いすらできない人間からすると恋愛というゲームに参入できること自体が特権的なんだよ。楽しそうにしやがって、知らないところで盛り上がって、好き放題に泣いて笑いやがって。全くこちとら共感できないんだよ、理解できないんだよ、存在しないゲームの話を皆がしているような感覚なんだ。どんどん時間がたつほどに孤独になっていく。大学を卒業する頃には結婚する同期も出てくるだろう。そうしてだんだん孤独になって、そして最後まで自分はその果実に触れることなく、一生を終えるのか。このどうしようもない孤独感、絶望感とどう向き合ったらいいんだ。どうすればいいんだ。もう何もわからない。20年間のうちどこで間違えてしまったんだろう。家庭環境?遺伝?幼少期の生育?小学校?中高?もう取返しはつかない。この人生は失敗した。失敗したんだ。

クソ。生き地獄だ。

マイ・ファースト・ソープランド

そうだ、ソープに行こう。JRの広告のような気軽さで、僕は自転車を漕ぎだした。少し雨。でも生い茂る緑が並木通りの両側を彩り、内心は初夏の清々しい風で膨らんでいた。股間も膨らんでいた。

時は遡る。その日は日曜日で、まだ中間試験まで時間もあった。親族からの「特別給付金」が午前中に届き、その額に驚いた。大学生でも受け取れば嬉しいと思うくらいの額だった。つまり、その額は1回くらいならソープに行けるくらいの額だった。

実は人生で一度もソープに行ったことのなかった僕は、決意した。「ソープでセカンド童貞を捨てよう」

セカンド童貞。この概念は、つまり「人生で一度しかセックスをしていない男」を指す。そう、男とは本質的に童貞なのだ。数学的帰納法的に増え続ける頭の序数は重ねたセックスの回数を表し、続く童貞の二文字は変わらずに女体を求め続けるあくなき探究心を意味する。中高生の頃もっと奥へ奥へと焦がれたモザイクの向こう側の景色を知ってもなお、そこに夢を抱き大志のままに冒険し続けるこの想いを、誰が否定できるだろうか。

時は冒頭に戻る。僕は自転車を飛ばし、僕が今住んでいる地域では最も高級なソープに降り立った。普段は面倒なキャッチで溢れている裏通りも、日曜の真昼間、それも小雨が降っているとあっては、影一つすら見かけなかった。そのかわりに路上ではしゃぐ子供達や、ランチを楽しもうと店を物色する老夫婦などのほんわかとした光景が広がっていたのだ。若干の罪悪感を抱いたが、3秒後には性欲を塗りたくってなかったことにした。

店に入ろうと階段を上っていると、おもむろに扉が開いた。「いらっしゃいませ!」!大柄な、ゴリラという形容がよく似合う男性が出迎えてくれた。おそらくカメラの類が付いていたのだろう。少し驚きつつも、その元気さと恭しさに感心しながら案内されていった。

1万数千円を入浴料として払い、女の子のリストを手渡される。「やせたBからCカップくらいでタバコ無しタトゥー無しお願いします、できれば20代中盤くらいで」いつも通りのオーダーを唱える。「適合者」が一名いたようだ。待合室へと案内された。

待合室でニュースを見ていると、コロナ関係の討論番組が流されていた。そこにいたのはおなじみの専門家である。一応日本国を憂う民として、この国の将来に想いを馳せていると、すぐに呼び出された。

エレベーター前で膝をついてお出迎えしてくれる先ほどのゴリラを横目に、中に入る。すると、そこにはちょうどいい胸の大きさをした嬢がいた。「こんにちは」まずは初手のあいさつをする。すると、向こうも明るく返してくれた。

エレベーターを降り、手を繋ぎながら個室へと入る。麦茶をついでくれた。コップ片手雑談しつつ、服を脱がせてもらう。

まずはキスから始まった。しっかりと指導を受けていて好感が持てる。キスをしながら押し倒され、ベッドに横たわった。そのまま全身リップを受けていると、首筋の快感に悶えながら、僕の肉体は臨戦態勢へと移行していった。

下へ下へと下り、ついに局部へと唇は至った。丁寧に先端を舐め、そして口の中へ中へと含まれていく。以前の嬢と比べると遥かに快感が強い。これが高級店の教育というものなのか。

しかし......。本気のモードになかなか移行しないのだ。少し困っている表情の嬢に、「あの、僕乳首が快感なので舐めながら手コキしてもらえますか......あ、一応右の方が気持ちいいんですけど」と伝えると、「わかりました~!自分で性感帯わかってるのいいですね笑」と意外にも高評価。「乳首小さいのに感じちゃうんですね~」と言われながら右の乳首を舐られる。その快感で、いよいよ僕の陰茎は完全に勃起した。

フェラされつつ、嬢がわきにおいてあったゴムを取り出す。「ソープは2回戦までOKで、多分若いから80分で2回いけるよね?笑」と煽られる。ああ勿論、余裕だ。自慢じゃないが、こちとら中学生のときに24時間オナニー耐久をやって10回を達成しているのだ。勿論相手は歴戦の風俗嬢。この無敵コンビなら2回戦は正直余裕だろう。

ゴムを口でつけてもらう。鮮やかなお手並みに、まるで遊園地のマジシャンを見ているかのような気分になった。ますます期待に胸が高鳴る。

そして、最初は騎乗位で挿入。うん、いい。膣の上皮は重層扁平上皮なのだが、そのもちもち感覚で包まれ、人間味のある温かさもある。キツキツというわけにはいかないが、このくらいのもちもち感がとてもよい。嬢の動きに合わせて腰を振っていく。喘ぎ声も演技感がなく、非常に快適だ。教育の重要さをここでも感じた。

さて、前回の風俗では失敗した対面座位をやってみたいと思い伝えてみることに。すると、「いいよー笑」と快諾。嬢の背中に腕を通し、自分の体に引き寄せる。胸が自分の肋骨で感じられるくらいに密着し、そのまま腰を振る。まるでサッカーのリフティングのように、嬢の腰を自分の鼠径部の上でバウンドさせるかのように、一定のリズムを刻む。強めに打ち付けつつ、嬢の胸の感触を味わう。すると向こうからキスを。勿論こちらも応戦し、そのままリズミカルに対面座位の密着を堪能していた。しかしまだまだ射精感はなかった。そこで、「次に正常位で」「はーい」そのまま嬢を解放し、ベッドに横たわらせる。そして嬢の両脇に腕をつき、膝をついたプランクの体制になって腰を振っていた。なかなか難しく、途中で疲れたので今度は騎乗位に戻してもらう。

「そろそろでそうです」と伝えると、「じゃあここでベッドプレイおわろっか」とのこと。そのままビートにのって2人で腰を打ち付けあっていると、嬢の股間から暖かい液体が出ていることに気づいた。うわほんとに濡れるんだなあと感慨に浸りつつ、最後は思い切り奥に打ち付けて射精。「どくどくしてる...」という言葉に、すでに2回目の勃起の気配を感じつついったんお風呂に入ることに。

体を洗ってもらい、今度はこちらが湯舟につかり嬢が体を洗う。その間に趣味の話などをしつつ、今度はこちらのアナルを洗う流れに。ここで、ソープによくある「椅子」に座ることになる。介護現場でも使われているらしいその椅子の上で、僕は嬢の指の快感に絶叫していた。「あ”あ”ーー!!!」「敏感だね笑」

そしていよいよマットプレイ。よくプールで人が上に乗れるような、空気を入れて膨らませる遊び道具があると思う。それと全く同じようなものの上に、まずはうつぶせになって寝転がった。嬢が胸や股間を使って僕の全身にローションを塗りたくっていく。性的快感というよりはマッサージのような快感。僕はリラックスしていた。

しかし、事態は急変した。嬢がアナルに触りだすと、あまりの快感にマットの上でビクンビクンと悶えて絶叫し、僕は打ち上げられた魚のようにのたうちまわっていた。「ああああああヤバいですうう」と告げると、「すぐ慣れる!みんな最初はそんなもんだよ!」と謎の励ましを受けつつ、続行。相変わらず叫んでいる僕に「じゃあ今回は軽めにしとくね、また今度来た時に開発しようね笑」と。もう絶対お前は指名しないぞと胸に誓う僕を横目に、嬢はローションを追加して全身で僕に塗りたくっていった。

そしてあおむけになるよう言われ、ローション手コキ。乳首をチンポの先端にぐりぐりするの、絵面はエロいけど快感はないっすね。あまり反応しない僕のチンポを見て、嬢は「やっぱ乳首なんだ」といいながら右乳首を舐め、左乳首を舐め、そうしていると再びフル勃起状態に。「流石大学生!元気!」!と笑いつつ、嬢はゴムを取り出し、またもや口で装着し、ぬるぬるローションに誘導されるようにするりと挿入した。

マットの上での騎乗位はなかなかスリリングだった。油断すると体が横転して僕のチンポはそのままバキリと折れるんじゃないかとびくびくしつつ、腰を振る。そのまま対面座位に移行しようとするも、滑ってうまくいかない。結局騎乗位のまま乳首を舐められつつ、最後は「おなかに出してもいいですか?」とお願いし、腹部に思い切りぶっかけ射精した。「2回目なのにいっぱいでてる~」というセリフに感動しつつ、風呂に浸かって嬢と一緒に全身のローションを洗い流した。

最後になかなか壮絶な身の上話をききつつ、その日は延長などもせず普通に終了した。

総額3万5千円。前回のセックスに比べるとあまりに幸福度が高く、射精後のけだるい満足感と若干の罪悪感に酔いしれつつ、自転車をのろのろ漕いで帰った。

 

また行きたいですね。