秋雨&時雨のブログ擬き

限界童貞の徒然なるままに綴った日常譚。

未来志向

医者をやり出して1年が過ぎた。患者と関わることは本当に苦痛であるなあ。常々思う。

自分が中高6年を過ごした環境はひどく愉快で、楽しい場所だったと思う。過ごす当時はそれなりに苦痛なことも多くあり、早く箱庭を飛び出したいと思っていた。大学6年間で、研究に没頭しながらも、サークルやバイト先などでやや多様な人間と関わり、愚かな連中もいるものだなあと思った。しかしそれはそれとして自分の快適な空間を維持する上でそこまで大きな支障はなかった。というか、率直に言えば、大学生活の大半は独りで実験に打ち込んでおり、人と過ごすような時間はほとんどなかったのだから、自分の内面世界にずっと引きこもっていたようなものである。

就職してから1年間、世界は一変した。研修医として働く上で、病院の同期たちは本当にいい奴らである。ここでいう「いい」奴らというのは、詰まるところ適度な距離感を保ちつつ、こちらに害を与えることはないという意味での「いい」ということである。大人の距離感というのはこういうものだと思う、無論自分が彼らから軽く疎外されているという要素はあるのだが(やはり、自分はコミュニティに馴染むということが難しいらしい。難しいなりに、なんとかやっていこう、いかなければならないと感じて、社会性というテクニックを必死に実践しているのだから、学生時代に比べればはるかにマシだと思う。というか、これは25歳になるまでその手の社交からセルフ隠居してきたツケを払っているようなものだ)。

上級医との関係性も、意外と円滑に回っている。自分で言うのもなんだが、自分は優秀なのだ。優秀さがなくなれば自分のような社交嫌いの冷笑オタクに居場所はないので、せめてメリトクラシーの勝者にならなければいけないので、生存戦略として必要なことをやっているまで、なのだが。自分には仕事ができない状況を許されるだけの愛嬌がない。

しかし患者というのは関わることが丸ごと苦痛である。そもそも頭が悪い人間が嫌いなのはあるが、頭が悪すぎる。そして高齢者というのは基本的に不穏になりがちで、暴れ回るのだ。治療を受けにきたはずが、なぜか救急外来で治療を拒否し始める、なんてこともよくある話だ。働き始めて最初の頃はバカ真面目にやっていたから、ゴミ患者どもにも本気でキレて立ち向かっていたが、それをやっていたら患者対応が悪いやつだと思われるようになってしまった。真面目に働いていただけなのに、自分の評判が悪くなるという矛盾。これが想像以上にきつかった。ある日ぷつんと糸が切れた。そこからは、患者には気持ち悪いくらい恭しい態度で接し、もしその患者が馬鹿で、診療拒否や暴力的な言動を1回でも取ってきたら、その時点で診療を放棄することにした。もちろん上級医が代わりにやってくれるので、その患者を必死で説得したり、宥め賺したりと懸命にやっているわけだが。そんな上級医の姿を見ていて、なんとも馬鹿馬鹿しいなと思ってしまった。自分は元々筋金入りの内科志望だったが、内科をローテートしていても、病棟にはよくその手のゴミ老人どもがいる。自分はそういう連中をボコボコに殴り、毒物を注射して殺してやりたい、もし殺人が罪でないのなら、そう思うばかりで、ああ殴りたい、殺したい、刺してやりたい、と思ってばかりいる。医療にはアドヒアランスという、つまり患者が治療に対して真面目にやっているかという概念があるのだが、そんな概念があること自体が馬鹿馬鹿しい。この俺が考えてやってる治療なんだからやれや。死ねよゴミカス患者ども。そして治療に従わないゴミ患者がそれで本当に死んだら、訴訟で訴えられるリスクがあるのだと。だから医療従事者はそんな生きる価値のないゴミ患者連中にも真面目に説得を試みないといけないのだと。諦めたような顔でそう語る上級医を何人も見てきた。

糞食らえだ。そんな患者どもは全員死ねばいい。そういう思想を強く内面化するようになった。しかし、内科にいては、訴訟という、どんな愚かしいゴミクズでも起こせてしまうクソみたいなツールによって、我々は彼らに媚びるかの如く説得を試みないといけないのだ。ほとほと嫌気がさした。

 

道を考え直し、保険診療の片隅で食っていこうと思います。

社会の歯車

使い古された表現だが、社会人というのは本当に歯車のようなものだなと感じる。組織が大規模化すればするほど属人化されたジョブは排斥すべき対象として忌み嫌われ、その方向性自体はごく健全な力学であろう。その渦中において人間は人間ではなく単なる最小単位として扱われる。それこそが歯車的な生き様として感じられ、学生時代の没入的な一人称視点の物語が終演する。

プライベートではせめてアイデンティティを失いたくない、という願い、ないしは強迫的な渇望から、若手社会人は常に支配されているようにも見える。それが、一風変わった趣味へと人々を駆り立てるのだろう。しかし、陳腐な言い方をするなら、逆張りが順張りになってしまうようなもので、皆が自分らしさを求めて彷徨うフェーズでは、それを求めること自体が没個性的な振る舞いとなる。また、20代後半〜30代前半の時期は、プライベートすら婚活や結婚、妊娠出産、家事育児と仕事の両立といった、重要ではあるがテンプレにもほどがある諸問題への対応を自ずと求められる。無論、その他の性愛を切り捨てる生き様も選択肢の一つにはなるが、その生き方を選んだとて、その生き方を選んだなりに生じる諸問題への対応を迫られるのだ。結局、どの道を選んでも、ありふれた地獄が待っている。

医者というのは最近では没落貴族の様相を呈しており、僕自身もロクな待遇で働けるとは毛頭思ってもないが、仕事がかなり属人的であると感じつつある。これは不健全な構造であり、医者が身分から職業へとその性質を転換させつつあるこのご時世にはむしろ忌むべきことなのだと自戒しながらも、この個々人依存の仕事というのはやはりある種の職人的側面があるだろう。そしてその要素は、アイデンティティの喪失に対して比較的強い耐性をもたらすようにも思える。また、医者はその成り立ちからアカデミズムへの距離が近い。研究による新規性の創出も、「自分らしさ」を実践する重要な手段である。

医者をやりつつ研究を細々とでも継続していきたいと考えている。その観点から、3年目以降の働き方や、研究の進め方を模索し続けている。ただのつまらん町医者で終わる未来もとっくに見えているが、最終的にそこに行き着くとしても、その途中の道はせめて楽しいものであってほしい。40,50歳になって後から振り返って、あの日々が自分という唯一の人間を構成する必要不可欠な要素であったと、確信を持って語れるようでありたい。

青春を終わらせるのはいつだって自分自身だ。この夢が醒めるまで、現実の中で馬鹿にされながら必死に、必死にやっていかねばならない。35歳までの10年でどこまでやれるか、まずはその戦いだ。

春の終わりに

忘れたわけじゃない。中高生のとき抱いていた屈辱的な無力感を。大学生のとき思い知った自身の無能、浴びせられた容赦ない目線、敵対心、自身への懐疑を。箱庭から出てもそこはだだっ広い荒野で、芽も出ない不毛な努力を続けて毎日徒労に苦しんでいた。

出したかった、いや出さなければ全員殺すと息巻いていた渾身の論文も中々出せていない。同世代が姉妹誌から論文を出したなんて話を聞いた。米国PhDに進むという話も聞いた。自分はしょうもないところでただ毎日限界医療をやっている。ひたすらに怒られ叱られ窘められている。誰も焦ってすらいない。焦燥感に駆り立てられるように努力に没頭していた大学時代から打って変わって、牧歌的陽キャたちがメインストリームな社会。いや、社会はずっとそうだ。僕が社会から逃避することを許されなくなっただけだ。

 

他人になんか興味ないんだよ。人間なんか大して面白くないんだよクソ。せめて面白い奴らとだけ関わっていたいんだ、大切な人とだけ向き合っていたいんだ。単に同じ組織にいるとか近い組織にいるとかそんなんでいちいち有象無象に割いてやる関心も時間も金もない。そういうスタンスは社会では受け入れられづらいらしい。

クソの無能よりはちょっとばかしマシな能力と、なけなしの学会発表や論文業績、まあ、「年次の割には」というやつ、若さゆえのボーナスステージ、穴モテクソバカ港区女子みたいなものだ。そういう恩赦により3年目以降の居場所はあるらしい。しかしあと2年以内に自分は最低限の武器を得られるだろうか。そして、ここからの10年で、何者かになるための武器を得られるだろうか。

何者かになるなんて漠然とした命題に付き合うのは馬鹿馬鹿しいよな。それでも、じゃあ、ただの町医者になっていいのかと言われたらずっとくすぶって不完全燃焼なんだよ。誰でもできる人生だろこんなん。今、自分が、ここにいたのだという、存在証明をしなくていいのか。青臭い中二病寛解したって精神年齢が追いつかなきゃ何の意味もないだろ。

無難にやったって面白くない。逸脱を躊躇してはいけない。尖れよ、尖るしかないだろ。尖らなくなったって凸凹まみれの欠陥人間なんだから綺麗な球体みたいな連中には一生勝てないんだよ。せめて誰かにはぶっ刺さる鋭利な人間であるべきだ。

社会は苦しい。広い。虚しい。そんな中でも人間は意外と優しいし普通に冷たい。現実は無味乾燥としたおもんない毎日の繰り返しだ。自分は何がしたいんだ、何になりたいんだ。2年の研修の間にも少しくらい知的生産をやれよな。創造的であれよな。マニュアルの完璧度合いで競うだけのクソみたいな毎日で何が楽しいんだ。何が自分なんだ。誰でも代替可能な技能を再現するだけのブルシットな技能職で一生終わっていいわけないだろ!!!クソがよ!!!

目にもの見せてやる。昔バカにしてきた人間も。尖りを消費するだけ消費して向き合ってくれなかった人間も。丸くなったらつまらなくなったと一蹴して興味も持たなくなった人間も。怖がって敬遠するのみならずいちいち妨害してくる人間も。全員さっさと死ねよクソフェイク。一生眼中に入れずにやってやる。お前らも躓くんだよ。摩耗するんだよ。そのうえでどこまで尖りを隠し持っていざというときさっと出せるかなんだよ。

やれるとこまでやっていく。現実に順応するんじゃない、現実を操作して自分の望みに近づけていくんだ。ここから10年くらい芽が出なくてもいいい、20年30年先に報われるという狂信的信仰を貫く。その可能性に賭ける。賭けるしかない。没頭するしかない。没頭が青春の本質なのだから一生春を終わらせたくない。

現場労働の中で

1か月と半分が過ぎた。オンザジョブトレーニングと言えば聞こえはいいが、全てが場当たり的で非体系的な病院に来てしまったらしい。現場で教わる怪しげなtips、学びというにはあまりにも低俗な現場のマニュアル的対応。そういうものを覚えていくたびに自分が大事にしていたものが少しずつ摩耗し、喪失されていくような気がしてならない。

医療現場というものは、ある意味で即時的快楽に溢れている。簡単な話で、弱っている人間というのは(単に労働のためであれ)感謝の姿勢をやたら見せたがるものだから、この仕事はある種簡単に正義面できてしまう。Twitterで自分の倫理が王道の宗教であるかのごとくふんぞり返っているクソきしょいゴミ医者どもがその典型だが、これもすべてはこの仕事が有するインスタントな快楽が悪いのだと思う。やりがいという言葉は綺麗すぎる。そんなものではなく、必然的に生じうるお手軽な快楽、エクスタシーに脳が染まり切ったクソ共の楽園に過ぎない。

薬物中毒者だから損得勘定の1つもできないのだ。どう考えてもおかしい理不尽ばかりがそびえている。法律というものはおよそ機能していない。あるいは、法律を機能させないための仕組みがあまた存在する。当然のように行われる脱法行為。そういう構造によって医療システムが維持されているのだということを伝聞ではなく間近に観察できてるのは、あるいはその犠牲者として自分が今年度からエントリーできているのは、社会科見学としてはとても面白いものがある。研修医なんてゴミしかいないからはっきりいって大した頭数にも数えられていないのだが、3年目以降どうなってしまうんだろうなと思う。自殺か、ドロップアウトか、精神が壊れる前に抜け出すのか、なんだかんだでメンタルと体力の図太さが勝ってしまい自分も構造を再生産する側に回るのか。

しょうもないとは思う。いや、しょうもない人間になってしまった。本当にそう思っている。認めることは受け入れることとイコールではないし、認めることは贖罪とイコールでもないし、免罪符にもならなければ特権にもならない。自分はこうして多方面から非難轟轟のクソシステムを中から維持し続ける人柱として消費されていくらしい。

中高の自分が見たらそういう自分を嫌うんだろうなと思う。大学生の自分はどうだろう。微妙なところである。

医者が年収800万の三交代になるだなんて未来予想図は馬鹿しかいないTwitterでもよく書かれているが、そんな立場になれたらむしろ幸せな方だと思う。是非そうなってほしい。自分はそこまで楽観的にもなれてはいない。

ひたすら没頭しつづけるしかない。やるしかない。その先が真っ暗だということはよく理解した上で、それでもいまさらやめたくもない。だからもうこの人生はだいたい終わったようなものだと思っている。bad endが明白な構造の中でただ終末に向かって進み続ける人生にこれ以上の先はない。

自分にとって宝物のような日々を、時間を、せめて忘れないようにしたい。そういう記憶が、自分のような社会不適合者にも少しばかりできたことが何よりも喜ばしいと思う。ひたすらやっていくしかない。報われない日々がいつしか日常になるまでやりつづけるしかない。きっと知り合いは一人また一人と離脱していくんだろうけれど、そうなっても自分はうまく脱出できないような気がしてしまう。抜け出せる道があるなら教えてほしいし助けてほしいが、そのようなマインドである時点で自分にはその素質はないだろうなと思っている。諦めてしまっているのだなあ。まあ、しょうがないかなあ。18歳の自分の進路選択ミスを一生恨んでやろう。

この度、無職と独身を卒業しました

近況報告。無事医師国試に合格した。奴隷の鎖自慢が横行するファックな業界こと医療業界だが、僕自身がその末端も末端、ド底辺の仲間入りすることが決定したらしい。

年収500万、南関東在住、地域のローカル病院勤務。大したブランド病院でもない場末の三次救急で春からこき使われるらしい。平々凡々の末路、まあつまらないがそんなもんだ。

自分を神童だと誤解していた11歳も、全員殺すぞと息巻いていた12歳も、失意の中で現実逃避していた13歳も、すべてが自分で、そして中学2年生から高校3年生まで毎日没頭して過ごしたあの道灌山の汚らしい学び舎が、没頭が青春のエッセンスだとするならば、僕にとっての青春だったんだろうなと思う。今は随分ピカピカになったらしいじゃないか、あの校舎も。オンボロの校舎を使わなくていいなんて良かったじゃないか現役生ども。一生お前らが見れないボロボロの高校校舎も、古びた旧校舎も、最高に楽しかったぞ。楽しかったんだよ。ああ、もう僕も老害になってしまったのかもしれない。

当時感じていた苦痛も、鬱屈とした狭苦しさも、無力な自分への苛立ちも、視界が晴れない不安も、自分は感じているままだと思いたい。覚えていると思いたい。それでも時間という気の利いたレメディが生々しいリアリティを掻き消していく。いや絶対忘れてやらない。"いつか死ぬまで何回だって、こんなこともあったって笑ってやんのさ"とでも言ったところか。ぼっち・ざ・ろっくはいいぞ。高校を出てから見たアニメでトップクラスによかった。おまいらも見ろよな。

まあそんなこんなでつまらない社会人になっちまったよ。畜生。中高の頃は自分がなんだかんだ、なんだかんだで優秀な人間だと思っていたよ。実際世間に蔓延るゴミどもを人間にカウントするなら社会の99%上の人間より優秀である自信はあるが、僕の視界にいるのはほとんど残りの1%側の奴らなんだから、そこで殴り合って負けてたら結局僕は負けた側なのだ。ヒトモドキを人間扱いして自分を満足させるなんて行為に浸れるほどプライドは腐っちゃいないし僕の目は濁っちゃいないのだ。しかし、まあ、客観的に見て僕はtop-tierの人間にはなれなかったんだよ。それが結末である。

最近、というか今日読んだ漫画に「メダリスト」というのがあり、「全世界、私に賭けろよ!」という台詞が本当に美しく、珍しくフィクションで泣きそうになったのだが、もう一箇所のセリフでぐさっときた部分があった。

「...(才能は)限られた時間の中で証明できなければないのと同じだ」

ああその通りだ。

大学で基礎研究や臨床研究に従事して微妙な論文を3報出すことに成功して世界を特に変えることもなくオンライン上に無駄な電子情報を撒き散らして終わった僕の学部生活だが、1年次から死ぬほど頑張った、ああ頑張った、頑張った基礎研究は未だacceptされていない。なんならrevisionを実験など教えた院生にお願いすることになり、なんとも屈辱的な結果であった。authorshipを1st authorにしてもらえればまあいいっちゃいいのだが(おい)、しかし、6年かけて僕は結果を出せなかったんだ。研修医中には遅くとも論文になってほしい。このアディショナルタイムで決めることができなければ、3年目の専門が確定する段階で業績として使うことができない。それはちょっと苦しい。

「限られた時間」はこれからもつきまとう。所属先で初期と後期の5年間を与えられたわけだが、実臨床のbullshit job を覚えながら、専門分野をある程度確立し、その上でできるだけ多くの論文を出さなければならない。24歳になり未だ一角の人物にもなれていない、何者にもなれなかった人間にしては、随分都合のいい敗者復活戦のチャンスを頂けた気分である。クソが。可愛がっていた大学の後輩には論文の本数で抜かれ、同世代の学生研究に取り組んでいた連中はすでに姉妹誌レベルに一本通していたりする。なんで僕はいつまでたってもそうなれないんだろうな。「優秀なんだけど報われない人」なんだろうな。嫌気が差してしまうが。

それでもやるしかないんだよな。今までもずっと負けてきたじゃないか。勝ちたいところでずっと負け続けて逃し続けてきたじゃないか。自分に賭けられない奴が運命に勝てるわけがないってメダリストでも言ってたしな。凡人がどこまで足掻けるか、時間がかかっても見せてやりたいよ。誰に?馬鹿にしてきたお前らにだよ。

自分にbetするために必要なものはなにか考え続けていた。才能はないが、ストイックな努力も、それなりに良い環境も、たまに味方してくれる運命もある。足りない最後の1ピースはやはり「居ていい場所」であり、「自分の人生丸ごとbetできる存在」なのだと思う。

というわけで本題だが、ノリで入籍してみた。つまらないエイプリルフールの類かと思われそうだが、そんなに4/1が待ち遠しいほど労働意欲には溢れていない。本当のことである。

どんな人か簡潔に、最大限簡潔に書くなら東大卒→医学部編入の女医である。年上である。まあこれ以上は言わないでおくが。合理的思考、対話能力、実務能力、将来の安定性、価値観や生活様式の合致などにおいて、レベルの高い合格点をオールウェイズ出してくれる存在である。というか、普通に見た目が好みである。

というわけで春から医者夫婦をやっていきます。拗らせ童貞カスマインドを持ったまま既婚者になったらしい。爆速で離婚したら笑ってくれ。そしたら婚活の相談にでも乗ってくれよ、キモオタ共。

それではまた。カスの斜陽産業の末端の末端で、自己実現とプライベートのささやかな幸福をどっちも実現するために、ここからの10年は血反吐まみれで頑張っていきます。

Re:Re:Re:Re:try

いつから、大学に立ち入ると動悸がするようになったんだろう。

それはコミュニティから排斥された(というより自ら堂々退場した)1年の終わりごろからだろうか。それとも、ラボで実験を繰り返し、毎日激詰めされ、できることが増えてもできないこと、わからないことばかりが堆積していく2年の頃だろうか。もはや覚えていないが、3年生になると大学で自分の居場所はとっくに喪失されていたし、人ごみの中で群衆の声、声、声、ノイズが飽和するその空間にぽつんと1人立ち尽くしているだけで全員をぶっ殺してやりたいと衝動的に思ってしまう憤怒の中に閉じ込められていた。とっくに、自分は人生を自らの手で生きているのだという主体感を失っていた。毎日砂を噛むような、不快感。耐えきれないのに、どこか別の世界の自分/今の自分との遮断を行う透明な壁があるようで、現実感のないリアル、そのつかみどころのないふわふわとしたところにいたような気がする。

ついに6年の牢獄を脱するときがきたのだ。国家試験もおそらく受かった。論文もとりあえずリバイスをどう対応するかのめどがついた。僕がやることはほぼ終わったといっていいだろう。疲れた。疲れた。本当に疲れた。ああ。ようやく解放されるのだということ。労働の方がつらいのかもしれないが、しかし、決められたことを達成できるようになるということは、何も決まっていない白紙に拙い手つきでクレヨンを塗りたくっては叱られ、しかし書き続けないといけないという、迫りくる焦燥に比べれば、いくぶんかマシではないのか。その答え合わせにはもう5-6年くらいかかるかもしれない。

いくらでもやればいいと思う。やりたいことを。リカバリできるのであれば失敗は失敗のうちには入らないのだから。何度も何度も叱られてきたが、学生という身分が幸いしたのもあってか、最後の送別会は大団円だった。人間から存在を祝われるというのは、自分の人生においてはめったに、めったになかったことだが、それがラボテク奴隷的な意味合いであったとしても、少なからず惜しんでもらえたということが自分にとっては嬉しいことだった。そんなこと今まであったか。憎まれっ子世に憚るとは言うものの、憎まれっ子が歓迎されたり、別れを惜しまれたりすることはそうそうないのだから、なかなか珍しい感覚だった。入学当初から廃工場みたく色あせたモノトーンのつまらないキャンパスだなと思って眺めていたこの辺り一帯に、自分の居場所と呼びうるようなところか、少なくとも1か所はあったようだ。

それでも、居場所があったのだなと気づいたのは別れのタイミングだったというのが悲哀であり、あるいはそういう機会でもないと私は存在を承認してもらう機会には恵まれないのだろうというのは、物悲しいところである。私にとってこの6年は苦行だった。本当に本当に苦しい日々だった。色あせない青春の思い出と呼びうるようなものはあったんだろうか。高校3年の運動会、後輩たちが準決勝で番狂わせの勝利を収めて、すわ優勝か、というあの瞬間よりも心が躍る、今を生きている、そういう出来事があっただろうか。あるとすれば論文のacceptだったんだろうが、残念ながら、それは在学中には達成できなかった。

ひと段落がついてしまい、これからの人生をどう生きればいいのかよくわからなくなってしまった。というより、そもそも自分は別に臨床医に対してそこまでの熱意など持ってはいないし、研究というものに対してあまりにも無知で、無垢であったころ、そこに見出していたようなものが結論としては幻想にすぎなかったのだということを、じっくり、しかし確実な手段で教え込まれてしまったのだから、もはや自分が医学部/病院近辺にいたところで、何をやっていけばいいのかわからないのだ。医学は楽しいし、幸い医者をやっていてくいっぱぐれることはないだろうと信じてはいるが、昨今の情勢では正直なんとも言えないところだろう。

自分のやりたいことは結局なんなのかといえば、安心していられる場所を見つけることにあるのだろう。それはやはり家庭的なものに回帰する。自分がやりたいことというのは本当に信頼できる人間と着実に愛をはぐくみ生活を構築していくという、堅実で凡庸なことに過ぎなかったのだろう。何者かになりたいと思っていた日々もあったが、それは難しいことで、本当に難しいことで、そして大成した先にあるものは必ずしも幸せではなく、そうした人々が最終的に戻ってくる場所の典型として家庭的な居場所というのは確実にあると思う。そうであるならば、どれだけ努力して大成したとして、幸福の総量を決定する因子はそこにはないのかもしれないと最近は思う。これは、負け組の戯言かもしれないが。

色々紆余曲折を経て、右往左往して、ノリで結婚してみるかもしれない。まあ、意思決定にかける時間というのは極論無駄で、大事なのは間違った意思決定を行ったときのリカバリーである。その観点から私は1回の婚姻をやたら吟味するよりは、まず結婚してみて、その上でいろいろ回してみてダメそうだったら破局しそこでの学びを次に反映させる、そういう改善のための構造化されたプロセスに取り組んでみたいと思うようになった。僕が早々とノリで入籍してたらすまん。

まあ、人生詰んだら自分で死ぬだけである。そのスタンスは昔から変わらない。つまるところ、私は幸せになるための行動を選択していくのであり、死んだ方がマシなら本当に死ぬということである。

というわけで、皆さんもよき人生をお送りください。

諦め、仕事的人生、小市民的な幸福

国家試験のクソみたいな勉強に忙殺されながら、実験のデータをまとめている。12月の医師国家試験受験生が送る生活とは程遠いような実験徹夜生活に苦しんでいる。こんなデータも所詮大半はゴミになる。論文にいつなるのかもわからない、迂遠なテーマに、僕の体力と時間はひたすらに浪費されていく。

 

思えば、18歳の僕は何者かになりたいと願って、震える指で1通のメールを送ったのだ。殺風景な研究棟に一人で向かい、研究をやりたいのだと啖呵を切った。チームリーダーや同僚の院生からはどうせすぐやめるだろうと思われていたそうだ。特に期待もされず、軽薄な誉め言葉をいただきながら、握ったこともないピペットを毎日握った。何冊もの書籍をひたすら読み耽った。雑用として、細胞やマウスの面倒を見ていた。細胞の継代を100枚以上管理し、別の人間が使う遺伝子導入のためのウイルスを増やし続けた。そのうち、チームのマウスケージを数百個管理するようになった。次々に新しい実験を覚え、ひたすら時間を消費した。ミスを詰められ、データを詰められ、その他あらゆる部分に関して詰められ続けた。昔から怒られることには慣れていたが、それにしても、怒り方というのは、ときにこうも陰湿なものになるのだということを初めて知った。これまで感じたことのない、真綿で首を絞められるような閉塞感に満ちた空間で、日々殺されていた。

 

ラボに同期はいない。自分の次に若い人間は、自分より10歳は年上だった。ひたすらに孤独だ。共感はいらないと昔言っていたが、それは結局同質的な環境に甘えることができていた人間の傲慢にすぎなかった。いつまでたっても自分より下は現れない。永遠の最底辺である。努力を認めてくれる人はいない。褒める言葉すら全てが軽薄で、単にダメ出しの前座、枕詞にすぎなかった。精神を削られながらも、必死にもがき続けていた。いつの間にか希死念慮が親友になっていた。飛び降りたいと思い、実際にやってしまおうとしたこともあった。

 

それでも辞めなかった。抱いた理想はとっくに諦めていたし、現実の厳しさを誰よりも実感していた。すべてが嫌になった。ラボに入る足が重かった。怒鳴られることを予期して、気が狂うほどに胃が痛くなっていた。張り付けたような笑みを浮かべても顔は引きつっていた。それでも辞めなかった。ようやくデータがまとまり始め、国内外の大規模な学会に出すことができた。次第に褒められることが増えた。その頃には、いかなる成功も、心には響かなくなっていた。死んだ目で黙々と作業するようになっていた。追加の実験の指示も、どれだけの手間になるか見積もった上で、その見積もりに従って淡々とやるようになった。面倒だな、以外の感情はもはやそこになかった。それでも辞めなかった。

 

実習や就活シーズンになると、ますます多忙を極めた。研究はいつまでたっても中途半端だった。成果が急に出なくなった。一流雑誌の査読はこれほどに厳しいのだということを痛感した。所詮こんなもんか。それでも辞めなかった。post-CC OSCEや卒業試験といった、留年をかけたクソゲーに取り組む間も、ひたすら実験に励んでいた。ストレスで気が狂うかと思ったが、全てクリアした。今は国家試験直前期だが、未だ拘束されている。きっと、国家試験が終わっても、研修先の寮に引っ越すまでは、こんな日々を続けているのだろう。

 

何者かになりたいという欲求は、いつのまにか鳴りを潜めるようになった。未だに自分の内心にはその種の自己実現欲求は存在しているのだが、もう、疲れてしまった。これでも、途方もない作業量をこなしたのだ。何度も徹夜した。今日だって徹夜明けだ。さんざん時間も奪われた。はっきり言うよ、疲れた。誰もいない研究棟から見上げる夜空は綺麗だった。春の夜桜も夏の大三角も秋の紅葉も冬の積雪も、何度もこの研究棟から見てきた。研究棟の周囲を歩く楽しそうな学生たちの姿を見て、自分は何をやっているんだろうと思わされたこともあった。こんなものは自傷行為に過ぎないじゃないか。

 

継続は力なりという言葉は所詮生存バイアスにすぎないと思う。成り上がった人間の道には敗者の屍が数多転がっている。薄々気づいていたのだ、これを続けてもおそらく何にもならないということを。仮に、impact factor 10前後の雑誌に1本通って、それで何になるだろう。

 

自分が研究に取り組んでいたのは、結局、自分がこの世界にいてもいいのだと思うために過ぎなかったのだと思う。はじめは、筆頭著者で論文をかけなかったら自殺すると決めてこの大学に来た。3本の論文を出しても、世界は変わらなかったし、自分も変わらなかった。あるいは、自分は当初心の底から、最高の論文を書き上げることで自分の価値が実証され、ひいては自分のことを救済してくれるようなヒロインが現れるのではないかという、ある種荒唐無稽なフィクションを信じ込んでいたが、実際にはそのような結果に一ミリも届くことはなかったとしても、恋人はできてしまったし、そもそも実在の人間は自分を救うような宗教的存在というよりも、どこまでも現実的な問題に支配されていて、現実的な問題にどう取り組んでいけばいいか苦悩していた。むしろ、現実的な葛藤や、現実の人間と向き合い続けることの方が、よほど自分という人間の変化には寄与していたと思う。研究により得られた変化というのは、ある意味で、単に疲れてしまったということに尽きるのかもしれない。あるいは、何かを諦めるということ、それをじっくり6年かけて遂げたに過ぎないのかもしれない。

 

自分は何を諦めたのだろう。それは、価値を得て、社会に受け入れられるというゴールだ。自身に内在する他者、ひいては社会、世界全体に対する根強い不信感というものは、おそらく幼少期の家庭や小学校において獲得されたものであり、その不信故に、自分は人間関係、社会的なものというのを、どこか操作的なものとして眺めている節がある。これは換言すれば、何か価値を提供することによってのみ、自分の存在は人間関係、社会において許容されるのであり、そのような取引を行い続けることによってしか自分の居場所は確保されないのだという考えを持っている。

こうして、自分は働き続け、動き続け、何かに取り組み続けることで、その過程で他者との関わりを得て、孤独を埋めるようになった。自分が何かしらの価値を提供していることで、自分の存在が価値を有していなくても、それはつまるところ人間性というか、人間それ自体としての価値というか、その種のアウトプットとは独立した本質的な価値が自分には存在していなかったとしても、他者、ひいてはコミュニティへの貢献度が一定のラインを超えていることによって、いやいやながらもコミュニケーションを取ってもらえるのだという解釈モデルである。自分にとっては、20歳を超えたくらいの頃までは100%ピュアにこの考えを内面化していたし、それ以降ある程度相対化というか、メタ的にこの部分を言語化するようになってからも、おそらくこの考えを捨てることはできていない。

研究というのはその最たる事例である。自分は独創的で新しい、そして学問領域全体を大きく変えるその大本になるような、そんな発見をしたいと願っていたのだ。しかし、その願いというのは、本質的には、学問それ自体に貢献したいというものではなく、自分がその種の価値を創出することで、社会に自分の居場所を少しでも確保してもらうことができるのではないかという打算にすぎなかった。そして、その価値創出がおそらくはできないのだろうという未来が確定しつつあり、自分はそのルートをもう諦めてしまった。

 

これからの自分は、仕事的なものに従事することになる。研究というのは、常にハードワークを伴い、数多の実験や書類仕事を伴うが、研究というのは常に独創性や新規性で評価される。つまり、研究に伴って生じる数多の雑用が正しく行えるというのは大前提であり、それらが適切に実行されるという前提の上で、どこまで素晴らしい結果が残せるかという戦いなのだ。これは、全てのクリエイティブとされる営為が該当するだろう。そして、だからこそ創造的な営為というのは、どこまでもしんどいものなのだ。

通常の仕事であれば、例えば僕が来年の四月から(国家試験に合格さえすれば)従事することになる医者という仕事は、手技が適切に行われていて、検査や診断、治療がプロトコルに則っていれば、それで問題はない。それらを覚えて、適切に実行できるようになるということが医師としての成長に不可欠であり、逆に言えば、それでいいのだ。規定されたことを規定された通りに行えるようになるということが重要である。世の中のほぼすべての仕事はそうであろう。また、結果重視の仕事であっても、それは結果的に得られる利益の額とか、プロジェクトの達成目標が達成されたかということが問題になるというだけで、それはある個人に全ての原因が帰せられるものではないし、ある個人に全ての成功や失敗が紐づけられるわけではない。というか、普通の仕事であれば、いくら結果重視であるとはいっても、社会人としてすべきことを淡々とやっていて、即首になるとか、許容されないレベルの詰めが飛んでくるというのはレアケースで、あるにしてもそれ相応の報酬が降ってくるものだろう。

研究は、その過程に伴う数多のハードワーク、苦痛に対する評価は行われず、全てが結果に対して、それも学問領域における独創性、新規性という観点からの評価が行われる。この異常性というものがどれほどしんどいものであるかというのを、ひたすら体感しつづけた6年間だった。

ようやく解放されるのだ。この地獄から。まあ、ここから新しい地獄に突入するにすぎないのかもしれないが、それなら自分は実務的な人間として生きていく方がマシだと心の底から思う。実務を淡々とこなしていればいい、という方が、メンタル面では確実に楽だ。もちろん医者の異常な労働環境自体がしんどくなることはあるかもしれないが、それは労務管理が終わっているという部分の問題であって、仕事それ自体のしんどさという話とは独立しているだろう。少なくとも、ひたすら新規性や創造性の観点から詰められ続けるということはないし、ハードワークが全て徒労、ゴミに終わるということはない。やったらやっただけ患者には還元される仕事だろう。自分には実務の方があっているのだということを痛感した。おそらく、世の中の多くの人間はそうであり、自分もまたその一例に過ぎなかった、ということだ。

 

もういいのだ。自分は失敗した。失敗した失敗した失敗した。それでいいのだ。本質的な価値を生みだすのではなく、誰かが作ったプロトコルを回して数十年過ごして死ねばいい。疲れてしまった。社会に居場所がなくても、一生嫌われ者でも、まあそれでいい。昔尖っていて、本質を追い求めていた姿を見て自分をリスペクトしてくれていた人間も、今後は自分のよりリアルな矮小さに失望していくのだろう。というか、すでにそういう失望を、何人からも直接告げられている。まあ、それでいい。少し寂しいが、それは結局自分自身が見せた幻影が実像に比してあまりにも誇大であったというだけで、自分が悪いのだ。

 

益々孤独になっていくのだろう。かつて尖っていた頃に知り合った人間は、自分が終わっていく姿を見たくもないだろうし、大して面白くもないよくある話なのだ、これは。肥大した自意識を抱え拗らせた若い人間が身分不相応な夢を抱えて、敗れて、そして孤独になっていくというだけである。自分も、もはや多くの人間と関わりたいとは思わなくなった。あとはひたすら小市民的な幸福を抱えて、小さく生きていきたいと願っている。それは、いわゆる結婚であるとか、育児であるとか、その手のあまりにも凡庸でつまらないものなんだろう。

 

独白しよう、欲しいのはもはやちっぽけな居場所それだけである。もう社会の多くの人間から認められたいとか、かつて自分に不信感を植え付けた世界に対する意趣返しとか、そんなものはどうでもよくなってしまった。好きなだけ疎外してもらって構わないし、こちらも好きに生きていく。それでも少しだけでいいから安心して過ごせる場所が欲しかった。特に、自分にとっては家庭というのは全く安心できる場所ではなかったからこそ、自分自身の手でやり直したいのだ。そういう場所があるだけで、自分は寂しさに殺されることもなく、生きていたいと思えるのだ。家庭的な場所で小市民的な幸福を少しずつ叶える人生をやってみたいのだ。そうでなければ自分は20代か遅くとも30代で全てがどうでもよくなって自殺するのだと思う。もう人生に大それた目標などないのだから、自分を現世に縛るものがなくなれば、生きることに拘泥する理由がなくなれば、ふらっと死ぬだけである。

 

つまらない人間になってしまったと思う。しかし、もう尖っていられるほどの余裕もなくなってしまった。あれは、余裕のなさに見えて、余裕があったからこそできたことなのだろう。もう疲れてしまった。冷めきってしまった。淡々と生きていこうと思うが、これからも、後遺症のように、辛くなってしまうのだろう。かつて本物になりたいとか、何者かになりたいと思ってもがいていた自分のことを思い出してしまうのだろう。大人たちが懐古する理由が昔はわからなかったが、今ではとてもよくわかる。いつかこの日々も懐かしさと共に振り返られ消費されてしまうのかもしれないが、そんな都合の良いものではなかったということを、このブログのいくつかの記事を読んで、未来の自分は思い出すといい。楽に死ねると思うなよクソフェイク野郎。