国家試験のクソみたいな勉強に忙殺されながら、実験のデータをまとめている。12月の医師国家試験受験生が送る生活とは程遠いような実験徹夜生活に苦しんでいる。こんなデータも所詮大半はゴミになる。論文にいつなるのかもわからない、迂遠なテーマに、僕の体力と時間はひたすらに浪費されていく。
思えば、18歳の僕は何者かになりたいと願って、震える指で1通のメールを送ったのだ。殺風景な研究棟に一人で向かい、研究をやりたいのだと啖呵を切った。チームリーダーや同僚の院生からはどうせすぐやめるだろうと思われていたそうだ。特に期待もされず、軽薄な誉め言葉をいただきながら、握ったこともないピペットを毎日握った。何冊もの書籍をひたすら読み耽った。雑用として、細胞やマウスの面倒を見ていた。細胞の継代を100枚以上管理し、別の人間が使う遺伝子導入のためのウイルスを増やし続けた。そのうち、チームのマウスケージを数百個管理するようになった。次々に新しい実験を覚え、ひたすら時間を消費した。ミスを詰められ、データを詰められ、その他あらゆる部分に関して詰められ続けた。昔から怒られることには慣れていたが、それにしても、怒り方というのは、ときにこうも陰湿なものになるのだということを初めて知った。これまで感じたことのない、真綿で首を絞められるような閉塞感に満ちた空間で、日々殺されていた。
ラボに同期はいない。自分の次に若い人間は、自分より10歳は年上だった。ひたすらに孤独だ。共感はいらないと昔言っていたが、それは結局同質的な環境に甘えることができていた人間の傲慢にすぎなかった。いつまでたっても自分より下は現れない。永遠の最底辺である。努力を認めてくれる人はいない。褒める言葉すら全てが軽薄で、単にダメ出しの前座、枕詞にすぎなかった。精神を削られながらも、必死にもがき続けていた。いつの間にか希死念慮が親友になっていた。飛び降りたいと思い、実際にやってしまおうとしたこともあった。
それでも辞めなかった。抱いた理想はとっくに諦めていたし、現実の厳しさを誰よりも実感していた。すべてが嫌になった。ラボに入る足が重かった。怒鳴られることを予期して、気が狂うほどに胃が痛くなっていた。張り付けたような笑みを浮かべても顔は引きつっていた。それでも辞めなかった。ようやくデータがまとまり始め、国内外の大規模な学会に出すことができた。次第に褒められることが増えた。その頃には、いかなる成功も、心には響かなくなっていた。死んだ目で黙々と作業するようになっていた。追加の実験の指示も、どれだけの手間になるか見積もった上で、その見積もりに従って淡々とやるようになった。面倒だな、以外の感情はもはやそこになかった。それでも辞めなかった。
実習や就活シーズンになると、ますます多忙を極めた。研究はいつまでたっても中途半端だった。成果が急に出なくなった。一流雑誌の査読はこれほどに厳しいのだということを痛感した。所詮こんなもんか。それでも辞めなかった。post-CC OSCEや卒業試験といった、留年をかけたクソゲーに取り組む間も、ひたすら実験に励んでいた。ストレスで気が狂うかと思ったが、全てクリアした。今は国家試験直前期だが、未だ拘束されている。きっと、国家試験が終わっても、研修先の寮に引っ越すまでは、こんな日々を続けているのだろう。
何者かになりたいという欲求は、いつのまにか鳴りを潜めるようになった。未だに自分の内心にはその種の自己実現欲求は存在しているのだが、もう、疲れてしまった。これでも、途方もない作業量をこなしたのだ。何度も徹夜した。今日だって徹夜明けだ。さんざん時間も奪われた。はっきり言うよ、疲れた。誰もいない研究棟から見上げる夜空は綺麗だった。春の夜桜も夏の大三角も秋の紅葉も冬の積雪も、何度もこの研究棟から見てきた。研究棟の周囲を歩く楽しそうな学生たちの姿を見て、自分は何をやっているんだろうと思わされたこともあった。こんなものは自傷行為に過ぎないじゃないか。
継続は力なりという言葉は所詮生存バイアスにすぎないと思う。成り上がった人間の道には敗者の屍が数多転がっている。薄々気づいていたのだ、これを続けてもおそらく何にもならないということを。仮に、impact factor 10前後の雑誌に1本通って、それで何になるだろう。
自分が研究に取り組んでいたのは、結局、自分がこの世界にいてもいいのだと思うために過ぎなかったのだと思う。はじめは、筆頭著者で論文をかけなかったら自殺すると決めてこの大学に来た。3本の論文を出しても、世界は変わらなかったし、自分も変わらなかった。あるいは、自分は当初心の底から、最高の論文を書き上げることで自分の価値が実証され、ひいては自分のことを救済してくれるようなヒロインが現れるのではないかという、ある種荒唐無稽なフィクションを信じ込んでいたが、実際にはそのような結果に一ミリも届くことはなかったとしても、恋人はできてしまったし、そもそも実在の人間は自分を救うような宗教的存在というよりも、どこまでも現実的な問題に支配されていて、現実的な問題にどう取り組んでいけばいいか苦悩していた。むしろ、現実的な葛藤や、現実の人間と向き合い続けることの方が、よほど自分という人間の変化には寄与していたと思う。研究により得られた変化というのは、ある意味で、単に疲れてしまったということに尽きるのかもしれない。あるいは、何かを諦めるということ、それをじっくり6年かけて遂げたに過ぎないのかもしれない。
自分は何を諦めたのだろう。それは、価値を得て、社会に受け入れられるというゴールだ。自身に内在する他者、ひいては社会、世界全体に対する根強い不信感というものは、おそらく幼少期の家庭や小学校において獲得されたものであり、その不信故に、自分は人間関係、社会的なものというのを、どこか操作的なものとして眺めている節がある。これは換言すれば、何か価値を提供することによってのみ、自分の存在は人間関係、社会において許容されるのであり、そのような取引を行い続けることによってしか自分の居場所は確保されないのだという考えを持っている。
こうして、自分は働き続け、動き続け、何かに取り組み続けることで、その過程で他者との関わりを得て、孤独を埋めるようになった。自分が何かしらの価値を提供していることで、自分の存在が価値を有していなくても、それはつまるところ人間性というか、人間それ自体としての価値というか、その種のアウトプットとは独立した本質的な価値が自分には存在していなかったとしても、他者、ひいてはコミュニティへの貢献度が一定のラインを超えていることによって、いやいやながらもコミュニケーションを取ってもらえるのだという解釈モデルである。自分にとっては、20歳を超えたくらいの頃までは100%ピュアにこの考えを内面化していたし、それ以降ある程度相対化というか、メタ的にこの部分を言語化するようになってからも、おそらくこの考えを捨てることはできていない。
研究というのはその最たる事例である。自分は独創的で新しい、そして学問領域全体を大きく変えるその大本になるような、そんな発見をしたいと願っていたのだ。しかし、その願いというのは、本質的には、学問それ自体に貢献したいというものではなく、自分がその種の価値を創出することで、社会に自分の居場所を少しでも確保してもらうことができるのではないかという打算にすぎなかった。そして、その価値創出がおそらくはできないのだろうという未来が確定しつつあり、自分はそのルートをもう諦めてしまった。
これからの自分は、仕事的なものに従事することになる。研究というのは、常にハードワークを伴い、数多の実験や書類仕事を伴うが、研究というのは常に独創性や新規性で評価される。つまり、研究に伴って生じる数多の雑用が正しく行えるというのは大前提であり、それらが適切に実行されるという前提の上で、どこまで素晴らしい結果が残せるかという戦いなのだ。これは、全てのクリエイティブとされる営為が該当するだろう。そして、だからこそ創造的な営為というのは、どこまでもしんどいものなのだ。
通常の仕事であれば、例えば僕が来年の四月から(国家試験に合格さえすれば)従事することになる医者という仕事は、手技が適切に行われていて、検査や診断、治療がプロトコルに則っていれば、それで問題はない。それらを覚えて、適切に実行できるようになるということが医師としての成長に不可欠であり、逆に言えば、それでいいのだ。規定されたことを規定された通りに行えるようになるということが重要である。世の中のほぼすべての仕事はそうであろう。また、結果重視の仕事であっても、それは結果的に得られる利益の額とか、プロジェクトの達成目標が達成されたかということが問題になるというだけで、それはある個人に全ての原因が帰せられるものではないし、ある個人に全ての成功や失敗が紐づけられるわけではない。というか、普通の仕事であれば、いくら結果重視であるとはいっても、社会人としてすべきことを淡々とやっていて、即首になるとか、許容されないレベルの詰めが飛んでくるというのはレアケースで、あるにしてもそれ相応の報酬が降ってくるものだろう。
研究は、その過程に伴う数多のハードワーク、苦痛に対する評価は行われず、全てが結果に対して、それも学問領域における独創性、新規性という観点からの評価が行われる。この異常性というものがどれほどしんどいものであるかというのを、ひたすら体感しつづけた6年間だった。
ようやく解放されるのだ。この地獄から。まあ、ここから新しい地獄に突入するにすぎないのかもしれないが、それなら自分は実務的な人間として生きていく方がマシだと心の底から思う。実務を淡々とこなしていればいい、という方が、メンタル面では確実に楽だ。もちろん医者の異常な労働環境自体がしんどくなることはあるかもしれないが、それは労務管理が終わっているという部分の問題であって、仕事それ自体のしんどさという話とは独立しているだろう。少なくとも、ひたすら新規性や創造性の観点から詰められ続けるということはないし、ハードワークが全て徒労、ゴミに終わるということはない。やったらやっただけ患者には還元される仕事だろう。自分には実務の方があっているのだということを痛感した。おそらく、世の中の多くの人間はそうであり、自分もまたその一例に過ぎなかった、ということだ。
もういいのだ。自分は失敗した。失敗した失敗した失敗した。それでいいのだ。本質的な価値を生みだすのではなく、誰かが作ったプロトコルを回して数十年過ごして死ねばいい。疲れてしまった。社会に居場所がなくても、一生嫌われ者でも、まあそれでいい。昔尖っていて、本質を追い求めていた姿を見て自分をリスペクトしてくれていた人間も、今後は自分のよりリアルな矮小さに失望していくのだろう。というか、すでにそういう失望を、何人からも直接告げられている。まあ、それでいい。少し寂しいが、それは結局自分自身が見せた幻影が実像に比してあまりにも誇大であったというだけで、自分が悪いのだ。
益々孤独になっていくのだろう。かつて尖っていた頃に知り合った人間は、自分が終わっていく姿を見たくもないだろうし、大して面白くもないよくある話なのだ、これは。肥大した自意識を抱え拗らせた若い人間が身分不相応な夢を抱えて、敗れて、そして孤独になっていくというだけである。自分も、もはや多くの人間と関わりたいとは思わなくなった。あとはひたすら小市民的な幸福を抱えて、小さく生きていきたいと願っている。それは、いわゆる結婚であるとか、育児であるとか、その手のあまりにも凡庸でつまらないものなんだろう。
独白しよう、欲しいのはもはやちっぽけな居場所それだけである。もう社会の多くの人間から認められたいとか、かつて自分に不信感を植え付けた世界に対する意趣返しとか、そんなものはどうでもよくなってしまった。好きなだけ疎外してもらって構わないし、こちらも好きに生きていく。それでも少しだけでいいから安心して過ごせる場所が欲しかった。特に、自分にとっては家庭というのは全く安心できる場所ではなかったからこそ、自分自身の手でやり直したいのだ。そういう場所があるだけで、自分は寂しさに殺されることもなく、生きていたいと思えるのだ。家庭的な場所で小市民的な幸福を少しずつ叶える人生をやってみたいのだ。そうでなければ自分は20代か遅くとも30代で全てがどうでもよくなって自殺するのだと思う。もう人生に大それた目標などないのだから、自分を現世に縛るものがなくなれば、生きることに拘泥する理由がなくなれば、ふらっと死ぬだけである。
つまらない人間になってしまったと思う。しかし、もう尖っていられるほどの余裕もなくなってしまった。あれは、余裕のなさに見えて、余裕があったからこそできたことなのだろう。もう疲れてしまった。冷めきってしまった。淡々と生きていこうと思うが、これからも、後遺症のように、辛くなってしまうのだろう。かつて本物になりたいとか、何者かになりたいと思ってもがいていた自分のことを思い出してしまうのだろう。大人たちが懐古する理由が昔はわからなかったが、今ではとてもよくわかる。いつかこの日々も懐かしさと共に振り返られ消費されてしまうのかもしれないが、そんな都合の良いものではなかったということを、このブログのいくつかの記事を読んで、未来の自分は思い出すといい。楽に死ねると思うなよクソフェイク野郎。