秋雨&時雨のブログ擬き

限界童貞の徒然なるままに綴った日常譚。

現場労働の中で

1か月と半分が過ぎた。オンザジョブトレーニングと言えば聞こえはいいが、全てが場当たり的で非体系的な病院に来てしまったらしい。現場で教わる怪しげなtips、学びというにはあまりにも低俗な現場のマニュアル的対応。そういうものを覚えていくたびに自分が大事にしていたものが少しずつ摩耗し、喪失されていくような気がしてならない。

医療現場というものは、ある意味で即時的快楽に溢れている。簡単な話で、弱っている人間というのは(単に労働のためであれ)感謝の姿勢をやたら見せたがるものだから、この仕事はある種簡単に正義面できてしまう。Twitterで自分の倫理が王道の宗教であるかのごとくふんぞり返っているクソきしょいゴミ医者どもがその典型だが、これもすべてはこの仕事が有するインスタントな快楽が悪いのだと思う。やりがいという言葉は綺麗すぎる。そんなものではなく、必然的に生じうるお手軽な快楽、エクスタシーに脳が染まり切ったクソ共の楽園に過ぎない。

薬物中毒者だから損得勘定の1つもできないのだ。どう考えてもおかしい理不尽ばかりがそびえている。法律というものはおよそ機能していない。あるいは、法律を機能させないための仕組みがあまた存在する。当然のように行われる脱法行為。そういう構造によって医療システムが維持されているのだということを伝聞ではなく間近に観察できてるのは、あるいはその犠牲者として自分が今年度からエントリーできているのは、社会科見学としてはとても面白いものがある。研修医なんてゴミしかいないからはっきりいって大した頭数にも数えられていないのだが、3年目以降どうなってしまうんだろうなと思う。自殺か、ドロップアウトか、精神が壊れる前に抜け出すのか、なんだかんだでメンタルと体力の図太さが勝ってしまい自分も構造を再生産する側に回るのか。

しょうもないとは思う。いや、しょうもない人間になってしまった。本当にそう思っている。認めることは受け入れることとイコールではないし、認めることは贖罪とイコールでもないし、免罪符にもならなければ特権にもならない。自分はこうして多方面から非難轟轟のクソシステムを中から維持し続ける人柱として消費されていくらしい。

中高の自分が見たらそういう自分を嫌うんだろうなと思う。大学生の自分はどうだろう。微妙なところである。

医者が年収800万の三交代になるだなんて未来予想図は馬鹿しかいないTwitterでもよく書かれているが、そんな立場になれたらむしろ幸せな方だと思う。是非そうなってほしい。自分はそこまで楽観的にもなれてはいない。

ひたすら没頭しつづけるしかない。やるしかない。その先が真っ暗だということはよく理解した上で、それでもいまさらやめたくもない。だからもうこの人生はだいたい終わったようなものだと思っている。bad endが明白な構造の中でただ終末に向かって進み続ける人生にこれ以上の先はない。

自分にとって宝物のような日々を、時間を、せめて忘れないようにしたい。そういう記憶が、自分のような社会不適合者にも少しばかりできたことが何よりも喜ばしいと思う。ひたすらやっていくしかない。報われない日々がいつしか日常になるまでやりつづけるしかない。きっと知り合いは一人また一人と離脱していくんだろうけれど、そうなっても自分はうまく脱出できないような気がしてしまう。抜け出せる道があるなら教えてほしいし助けてほしいが、そのようなマインドである時点で自分にはその素質はないだろうなと思っている。諦めてしまっているのだなあ。まあ、しょうがないかなあ。18歳の自分の進路選択ミスを一生恨んでやろう。