秋雨&時雨のブログ擬き

限界童貞の徒然なるままに綴った日常譚。

箱庭への郷愁

箱庭の壁は、いつか破壊しなければならなかった。 かつての自分は、中高あの学園にいながら、どうしようもなく外の世界を欲していた。どうあがいても所詮ただの子供、身分制社会。中高一貫の環境では、やはり鬱屈とした莫大なエネルギーが暴走するもので、同…

Meandering Sidewalk

人生は想像していたよりも長い。年を取るにつれ年末の漸近速度がはやまる感覚はすでに経験しているところであるが、その一方でまだ、23歳として働きもせず日々生きていることへの倦怠感を自覚している。 人間は他者と関わることを宿命付けられているが、しか…

包摂されない精神、メタ的な友情

コミュニティにただ埋もれてみたい。素直な欲求があり、それは相反する行動によって常に裏切られてきた。裏切られたとはいっても自分の自己のしたことで、自己責任の範疇を出ない一人相撲である。しかし、いつになっても「しっくりくる」という感覚を得るこ…

原始の自分を救うために、何者かにならなければならない

最近、高校の同期の名前を目にすることが増えた。受賞や業績、何らかの責任ある立場、就職、輝かしい栄光の一歩目と言えば楽観的か。ともかく、それは喜ばしいことであるし、僕らが共有していた過去において何者でもなかったティーンエイジャーが今となって…

ストイック、ハリネズミのジレンマ、居ていい場所

久しぶりに投稿しようと思う。やはり、人間というものは簡単には変われないらしい。もはや読者などいないブログに今更文章を掲載するのは、時間を超えて自己と対峙するための装置が欲しいからである。他者に見える形で言語化するということから逃げてはなら…

この度、時雨を卒業しました

ある学園を卒業した人間がいた。これは男子校、6年の監獄的猿山、異常の最下層を決する逆ピラミッドの呪いから抜け出せずにいた男の話である。 中学と高校は連結した一つの学園であり、その空間は強烈な個性のマウンティング会場だったことを印象強く覚えて…

20年のどこで間違えてしまったんだろうか

成人した。クソすぎる。人になどなりたくなかった。というか、まさか本当に人生で一度も彼女ができないとは思っていなかった。なんだかんだで空から美少女が降ってくると思っていたし、角でイチゴジャムの塗りたくられたパンを咥えた女子大生とぶつかって始…

マイ・ファースト・ソープランド

そうだ、ソープに行こう。JRの広告のような気軽さで、僕は自転車を漕ぎだした。少し雨。でも生い茂る緑が並木通りの両側を彩り、内心は初夏の清々しい風で膨らんでいた。股間も膨らんでいた。 時は遡る。その日は日曜日で、まだ中間試験まで時間もあった。親…

性別についての概観、"拗らせ"の果ての観念

僕は拗らせ童貞である。そして、その上で述べたい。僕は心から男女平等的である。 僕にとって恋愛は最高に崇高な存在だ。肉欲とは乖離した、愛を煮詰めて煮詰めて数年熟成しても足りないワインのような一品。それを特定の相手と共有し、その関係性は一切の混…

この度、童貞を卒業しました。

これまで散々Twitterで限界童貞を名乗ってきました不肖私めですが、この度ついに童貞を卒業したのでその旨を報告させていただきます。相手は従姉妹の紹介で知り合った都内の女子校の人です(以下Aさんとします)。恋愛関係ではなく、あくまでセフレ未満のもの…

君と過ごすよ劣等感

僕が無邪気で、クリスマスとかバースデイの贈り物は何がいいかいと尋ねられたとしよう。そうしたら、僕は迷わず「自己肯定感を下さい!」と言ってしまうのであろう。 自己肯定感。かつて人は宗教に見出していたようだ。現代の自称先進国の日本の皆さまは大半…

現代日本のFラン像

0.Fランの定義 Fランとは、元々「ボーダーフリー」のF、つまり入学定員に対して受験者数がより少なく、出願すれば誰でも入れてしまうような大学を指して使われていた言葉だ。そして、そこから派生してそうした大学の学生を指す蔑称として、さらには広く一…

恋愛観的備忘録

Twitter、あるいは日々の生活でちょくちょく触れていることをまとめてみる。統合。 そもそも自分は異性愛者なのか。正直なところ恋愛体験を人生で真にしたことが一度もない(2次元へのこの想いが該当するかは議論の余地がある)というのが僕の主観的自己批評…