秋雨&時雨のブログ擬き

限界童貞の徒然なるままに綴った日常譚。

拝啓、ボーイミーツガール(s)

青春とは何だったのか未だに考えてしまう。それは刹那への没頭であると第一義的には考えているが、そうであるならばあの男子校での日々も青い春の出来事として一生懐古されるのだろうか。いや、そんなことはないのだ。当時の僕は、確実に、青春欠乏症に苦しんでいたし、その後味は未だに尾を引いている。

ヒロインの不在。当時の僕に、あるいは今の僕においても待望されていたのは救世主としてのヒロイン的存在である。ラブロマンスイデオロギーに染められていたと言えばその程度かもしれないが、それでも、ヒロインが存在しないという状況は自分にとって大きな苦痛を伴っていた。いや、あえて言語化するならば、自分が家庭において実感することができなかった家族愛、あるいは母性/父性的なものを受け取りたい、あるいはままごとのように真似てみたいという、「やり直したい」欲求があったと言えるかもしれない。

ホモソサエティだって捨てたもんじゃない。当時の僕は間違いなくそこで救われていたし、そこでしか得られない人間関係があり、そこでしか得られない成長があった。今の自分が行っている努力や対人交渉の方法論は全てあの中高で培われ、洗練されたものだったと確信している。あるいは知的操作の一つ一つを、あの6年間で磨き上げたからこそ、大学の6年でそれらを駆使して、一応研究なり課外活動なり、あるいは最近もらった内定なりに繋がっている。

しかし、中高から大学の初期の頃まで、自分の孤独や絶望は晴れることがなかった。そのことで思い詰めて死ぬことを真面目に検討していた学部2年の頃の自分を、冬の時期になると毎年思い出してしまう。だからこそ、あの頃に、「あなたがいない世界なんてつまらない」「彼女ができないなんていうくだらない理由で死ぬなら、私が付き合ってあげます」という電話をもらったことが、未だに忘れられない一筋の希望を実感した瞬間として克明に記憶されているのだろう(まだこのブログを読んでくれているだろうか、とっくに忘れられている気もするが)。あるいは、当時の自分を閉塞的な世界から夜の街へ連れ出して、いろいろな話をして、秋冬の寂れた明け方の景色を眺めながら帰宅するところまで寄り添ってくれていた先輩との日々を忘れることもない。居ていい場所があるはずだということを、伝え方を変えながら繰り返し説き聞かせてくれていた根気強さは、彼女が「先輩」としての役割を通じて自己実現する一助にもなっていただろうか。あえてここに書くほどでもない人たちを含めても、自分は本質的には女性の存在に大きく救済されてきたところがあったように思う。

それ以降に深く関わった女性たちのことは、未だ総括する段階にはないと思っており、今後整理していきたい。ただ、自分にとって原初の女性体験が救済する/されるの体験であったことが、その後の言動に大きく影響している。救われる側から救う側にならなければならない/なりたいという救済願望のようなものを次第に感じるようになった。それは、所謂毒親を抱えた人がそこから物理的あるいは精神的に独立できるようサポートすることであり、難病を抱えた人が知識を深め治療に向き合う上での寄り添いであったり、就活などのソーシャルなイベントにおける相互扶助(実際は往々にして僕の負担に偏ってはいるのだが)であったり、精神疾患を抱えているような人を精神科やカウンセリングまで繋いだり、自己否定感情を抱えた人間が少しでもその自責を緩和できるように情緒面にアプローチしたり、かつての自分が自発的に決して行わなかったであろう偽善に取り組んでいた。それらは常に報われるものではなかった、というのも、交際関係であれば裏切られることもあった。客観的に見れば確実にこちらが正しいことを提案していても強引に拒絶されることもあった。対話というものが抱える限界についてこれほど考えさせられる数年を過ごしたことはなかった。しかし、その上で、語り続けることや関わり続けること以外に他者というものを理解し、互いの幸福のために何かを解決する手段は存在しないのだということを改めて実感するのだ。

救済されたからには、あるいはいつまでも憧れた人から救済をされるばかりで対等な目線に立つことができないというコンプレックスに苛まれるくらいなら、自分自身が他者に対峙しなければならないし、自他のボーダーラインを踏み越えなければならない。それが侵襲となるか、対話的アプローチとなるかを決定するのは自分と相手の一人称/二人称単数の間主観的関係性ただそれのみである。他の誰も関係ない、閉鎖空間のような内面世界で、ひたすらに対話をし続けるしかない。それが現実世界の閉鎖空間でなくとも、TwitterのDMでもdirectでもLINEでもメールでもSMSでもなんでも良いのだが。

自分がそうして関わってきた女性に共通するのは、純粋さが悪く作用してしまい、社会に多く存在している悪意によって疲弊してしまった人たちであるということだ。有害な男らしさに対置されうる概念としての有害な女らしさというのは確実に存在すると思っている。女性のソサエティに馴染めずに排斥され続けてきた層というのは確実に存在している。あるいは、父親、中高大のホモソーシャルサイドの男性、元交際相手からの悪意による疲弊というのも勿論あるだろう(この部分における男子校的ホモソサエティ出身者の有害性に関しては自分自身がある程度自覚的に目を逸らしている部分ではあり、というのも中高の自分を擬似的に救済していたものがそういった有害性を孕む集団、社交であることは否定の仕様がないので、それは育て親を背中から撃つような行為に等しいのである)。ともかく、良くも悪くも極めて純朴であるが故に、女性コミュニティや男性からのアグレッションによりとことん疲弊している人たちという印象が強い。そのような「周縁」(などという言葉を持ち出すあたり自分もしょうもない衒学仕草が抜けきっておらず思春期のターミネーションが終わりきっていないことを恥じる他ないのだが)に追いやられた女性たちを比較的多く目にして、自分なりにある程度深く関わったのかな、と思っている。

救済というものは報われないのだ。貸しを作ったところで返してはもらえないのだ。そんなことは大前提で、そもそも相手のためになることをいくら重ねてもその構造を相手が認識するかといえば全くそんなことにはならない。その報われなさを受け入れることが、救済という自己満足的行為に耽る上での最低限の条件だと思っている。諦めと言ってもいい。それでも向き合い続けることこそが自分にとっての愛の実践であるとすら考えている。無論、そこまで愛を注ごうと思える人間の数というのは少ないし、愛にもキャパシティがあるので、それ以外の人間に対してある程度排他的になる必要はあるし、自分の露悪的な言動はそのために行われている節すらある。

思えばずいぶん露悪的なことばかり重ねてきた気もするが、それは大いなるものへの本能的な反発、思春期特有の自我の表出であるとともに、この手の自己防衛を行う上でも重要であった。何も期待するなというメッセージを発信しておくことは、自分が期待に応えられなかったときに余計な失望を招かなくて済むのだ。道化的な振る舞いによってコミュニティの義務から逃れようとしていたと言ってもいい。どこかズレた人間であるというのは、集団に馴染むことができない代わりに、余計なコストを引き受けることから免除されるのだ。

ただ、思わぬ副作用として、露悪的な振る舞いは純粋であることで傷ついてきた人たちにとっては意外な相性の良さがあるらしい。自分のように集団の中でやたら反発してみせたり、尖った側面を強調してみたり、露悪という形で模範から逸脱しながらも都合良くそこそこの人生を送っている(ように見える)人間というのは、己の優しさや純朴さにより傷ついてしまう人間からすると、「こんな適当でいいんだ」「こんな自由でいいんだ」「悪い人でいてもよかったんだ」という、新しい気づきのきっかけとなるのだろう。安易で陳腐な自己防衛が誰かの安らぎにつながるとは正直全く思っていなかったが、そういうことがあるのも人生というものかもしれない。

ヒロインの実在を踏まえてもなお自分は青春の渦中にはいないように思う。王道でまっすぐなアオハルを真顔でやれるほど健全に育つことはできなかった。しかし、救済される/するという関係性を通じて、自分が見失っていた他者との本質的な対話可能性というものを、時間をかけて自分なりに咀嚼することができたのだと実感している。それは刹那を消費する青春群像劇に明け暮れるよりよほど価値のある蓄積であると思っている。青春コンプレックスも、青春の猿真似ではなく、別の軸で自分なりにもがいたことで多少は解消できたのかもしれない。

こうした一連の行動は結局のところ自分が見失っていた母性的なもの、父性的なものへの執着に過ぎないのではないか、青春コンプレックスを脱した先がより原初の家庭への執着になっただけではないかという批判は確実に存在していると思う。ただ、実のところ、自分が本当にやりたかったことは、何者かになるという自己実現を個人to社会(セカイ)の文脈で成し遂げるといった大それたことではなく、もっと個人的なことで、それは壊れた家庭のrebootなのかもしれないということを最近は実感してしまう。これが丸くなるということなのだろうか。いや、というより、ずっと目を逸らし続けていた部分ではあったのだが、なんだかんだ自分は彼女を作って生殖をするというだけの婚活市場における価値がありそうだという打算的な目処がついたことで、家庭という構造を自分の手で再構築して、幼少の自分がどれだけ欲してもえられなかった家庭的幸福をそこに実現するということに可能性が生まれたからこそ、改めてより明瞭に自覚するに至ったと言えるだろう。ただ、これは結局本来は愛を手向けるべき配偶者や、自立した自我としての子供に対して、彼ら/彼女らに対する眼差しではなく、自分の古い過去に抱えたコンプレックスを解消するために他人の肉体や実在を消費していいのかという、極めてクリティカルな倫理的問題に直面してしまうし、実際最近の悩みというのは概ねこのあたりに収束しているのだが、未だに答えは見えない。見えないからこそ、刹那への没頭という青春の一イベントとしてではなく、より地味で地道な対話の蓄積によってその解を実践していくしかないのだが。書くは易しいが、するは難しい。

ただ、そう悪いものでもない。悩んで考えて行動し、フィードバックをかけ続けることこそ、真の幸福に漸近するための健全なサイクルである。ひたすらやっていくのみだろう。ボーイミーツガール(s)はあの日の拗らせ童貞クンを多少は変えてくれた、のかもしれない。

彼女を母校の文化祭に連れていく男子校出身者は馬に蹴られて死んじまえ

「彼女を母校の文化祭/運動会に連れていく男子校OB」は極めてニッチな領域に生息している。限界拗らせ童貞を自認するところである私自身はそのような軽薄の極みである行為に手を染めたことは一度もなく、己の潔白をここに主張させていただく。

しかし、世間、ごく狭い世間、具体的には「男子校出身者が大学に進学していくばくかの時間が流れたあとあまりにも幸運なことに彼女ができる」という出来事がそこそこの頻度で観察されるコミュニティにおいては、男子校出身者が母校の文化祭や運動会に彼女を連れていくという行為がそれなりにあるあるらしい(女性視点では、憎むに憎めないが別に嬉しいというわけでもない微妙なあるあるとして語られているらしい)。

 

この行為のことを、私は「母校の関係者に自分の彼女を見せつける顕示欲」であるとみなしていた。そして、心底冷笑していた。特に、自分自身が在校生として文化祭や運動会に献身していたときには、どや顔で女子大生をつれてくるタイプのOBをぶっ殺してやろうかと憎んでいた。その殺意には一定の合理性というか、情状酌量の余地があるだろう。比較的美人な女子大生が多かったように記憶しているのは、当時の私が男子校の呪いによってその美意識をゆがめられていたかもしれないが、ともかく当時の感情としては殺すぞという一言に尽きるのであった。

 

ところで、最近化物語を見直していたのだが、12話で阿良々木暦戦場ヶ原ひたぎが星を見に行くシーンがあった。私が初めて化物語を視聴したのは小5くらいだったと記憶しているが、当時は「星なんか見てもしゃーないやん」という身も蓋もない、情緒もない感想を若干抱いてしまったのをよく覚えている。ただ、知人がその行動を「好きな人には自分の好きなものを好きになってもらいたいんだろう」と評していたのが印象的だった。

改めて見直してみると、戦場ヶ原の台詞は以下のようなものである。

「これで全部よ。」「私が持っているもの、全部。」「勉強を教えてあげられること。可愛い後輩とぶっきらぼうなお父さん。それにこの星空。私が持っているのは、これくらいのもの私が阿良々木くんにあげられるのは、これくらいのもの。これくらいで全部・・・。」(引用終)

 

戦場ヶ原ひたぎは自分が愛してやまない思い出の星空を阿良々木君にも見て、好きになってほしかったということなのだろう。そう思って見てみるとなんとも良いシーンである。

 

このことを理解した上で、改めて男子校出身者の奇行に立ち返ってみよう。すると、彼らにとっての母校の文化祭や運動会というのは、まさしく戦場ヶ原ひたぎにとっての星空のようなものなんだろう。そう思うと、ある意味極めてピュアな好意の表れなのかもしれない。

 

好意の一形態として自分が好きなものを相手にも好きになってもらいたいという欲望が存在しているのは、自他境界が曖昧になり溶け合っていくような感覚なのだろうか。健全か不健全かはともかく、その種の感覚に耽美するのも、若者らしくていいのかもしれない。"You can't be wise and in love at the same time."とはよく言ったものである。

 

 

...それはそれとして、男子校の文化祭や運動会に彼女を連れてくるOBは死んでくれ!

 

憧れで始めて殺意で続ける

ラクラするような熱射の中で、似合わないスーツに身を包み歩いていた。アスファルトの上でミミズが溶けてしまうような灼熱。来たる8月、陽炎が立ち昇るような8月が今から待ち遠しい。焼けるような炎天下で今すぐ死んでしまいたい。梅雨が明けるまであとどれくらいかかるだろうか。夏が来るたび、西日暮里のあの校舎に通い詰めた日々を思い出す。夏の茹だるような苦しさは、箱庭に閉じ込められているような、まさしく閉塞感と結びついていた。あの学校は箱庭的であり、シェルターであり、荒廃した外界から身を守るものだった。それと同時に真綿で絞め殺されるような感覚が常に脳を支配し、世界を呪った。

 

就職活動。セルフプロモーションといえば聞こえは良いが、単に中身のない商品を売りつける詐欺師の営みである。空っぽの人間であれば空っぽだからこそ何でも詰め込めるのだと強弁してみせる傲慢な虚構。いつか自身を精緻な贋作であると痛感し、ホンモノになりきれない存在だと、あるいはナニモノにもなれない存在だと絶望した日々の後遺症である。今少しずつ世界が回りだした感覚があり、少しずつ自分が世界に存在した意味を得られるのではないかという微かな希望が差し込んできた。それでも、就職活動のプロセスはあまりに欺瞞に満ちている。

 

自分は将来何をしたいのか。目の前の患者を治すことなど誰でもできると言える不遜さはもはや消失してしまった。クソみたいな臨床医なんていくらでもいる。研究で世界を救い己のレゾンデートルと成すことはあまりにも高い頂だ。やりたいことはいくらでもある。そのための時間と金と実力と運が足りない。何も足りない。ああクソ。

 

やり続けるしかないんだ。この道の先にはきっと何も無い。また何度も夏がやってきて、その度に焼き尽くされて、燃え尽きて、それでも続けるしかない。救いはない。はっきりいって今の自分はクソ以下だと思う。今すぐ自殺しても誰も困らない。社会の頑強なホメオスタシスによって、自分亡き後も正常へと回帰していく。あまりにも虚しい。クソ以下の人生。終わってる。

 

何者かになったって社会の奴らから搾取されるだけじゃないか。それじゃダメだ、手のひらの上で一流の踊り子になっても所詮末路は場末の売女だ。自分が今此処にいなければ実現しなかったと誰もが悔しがり、顔を歪めながらも認めざるを得ないような、輝かしい人生。眩しすぎて誰も直視できないような。

 

自分は、夏の太陽から目を背けるように、人生で出会ってきた才能の塊連中からシニカルに逃げ続けてきたのだと思う。才能も環境も兼ね備え、そして最強ストイック努力を難なくやってしまう連中。話すと楽しくて、意思疎通がトントン拍子で進んで、一緒に仕事すると楽しくて、憧れていた。自分もそうなりたいと思って、ない頭を回して、必死に真似て、対立構造を作って、自分がその渦中でプレイヤーをやれているようなスタンスを堅持し、まず外側から作っていった。自信に根拠がないやつはフェイクだが、それでも根拠のない自信から全ては始まる。憧れていたのだ。ああなりたいと。

 

眩しい太陽から目を逸らしていても、その燦々たる輝きへの憧れは隠せない。すべてそこから始めてきた。それでも、現実を知れば知るほど、憧れの色は濁っていく。目の輝きも失われる。死んだ魚の目で実存を求めて彷徨っていく。内心は荒廃し、世界を呪っていく。初心など疾うの昔に忘れる。憎悪のような、殺意のようなものを抱えて突き進んでいく。

 

就職活動とは全てフェイクのクソ儀式だ。それでも、ここで折れたら全ておしまいなのだ。今までやってきたことの末路がクソゲーで詰んでおしまいになるなんて、絶対にありえない。耐え難きを耐え、忍び難きを忍ぶ。臥薪嘗胆のメンタリティである。数年後、十数年後自分が勝ってなくても、勝手に嗤ってくる奴らも、どうせいくらでもいるだろう。それでも数十年後に嗤っているのは自分だ。

箱庭への郷愁

箱庭の壁は、いつか破壊しなければならなかった。

かつての自分は、中高あの学園にいながら、どうしようもなく外の世界を欲していた。どうあがいても所詮ただの子供、身分制社会。中高一貫の環境では、やはり鬱屈とした莫大なエネルギーが暴走するもので、同級生と結託して校外での活動に精を出したり、学内から学園の根幹的な部分を破壊しようと試みたりしていた。誰かの手のひらの上で踊らされていても何も進まないのだということ。行動しなければならない、その衝動だけが暴れていて、どうすればいいのか、この文脈でいう「いい」とは何を指しているのかという洞察をあえて保留していた。

 

常に言いたいことがあった。やりたいことがあった。その内心に埋もれたモノを、どう具体化すればいいのかわからず、苦悩していた。それをひたすら出力しつづけ、他者にぶつける過程こそが、自分にとってのコミュニケーションであり、世界に初めて他者の居場所が生まれた瞬間だった。そして学園への入学から数年が経過し、ようやく自分の爆発的なエネルギーを制御することができるようになった。猛獣を飼いならさなければならない。内心の猛獣を自在に操作できるようになり、ようやく破壊衝動を自覚したのだ。

 

箱庭は自分を受容してくれた。居場所を提供してくれた。自身の出力に耐えて、それ以上に破壊的な返信をよこしてくる他人の存在をも与えてくれた。その箱庭では、充実したリソースが存在し、学園の生徒が大勢で成果を成し遂げるシステムが備わっていた。思う存分精力的に活動し、他者の存在を組み込んだ上で、ある種の自己実現を遂げるということの充実感を味わうことができた。

 

しかし、結局そこで終わってしまう。プログラムされた手続を、大人たちのお膳立ての上で遂行する。自分の生活は家庭により成り立ち、経済的な不安も一切抱えることなく、本当に面倒な部分はすでに済まされた状態で、「おいしい部分」だけを味わう。それが欺瞞でなくて、なんだというのだろうか。学園に入り4年が過ぎたころには、その確信が芽生えた。安易なアンチテーゼは学園の歴史において何度も提起され続けてきた。それでもなお、生徒の間に自治という名目の管理ー被管理構造が導入されていることにより、箱庭への反感を抱いた人間すらシステムに包摂されてしまう。強固な全体主義の中で、叛逆すら集団の前進の糧として消費されていく。

 

あの学校は自由を謳っていた。自治を謳っていた。それが、世間の有象無象の学校と比べたとき確実に優位な利点であることは疑うまでもないが、それでも、自由の輪郭を構成する箱庭の壁の存在が目についた。自治という言葉に含まれる、管理ー被管理の構造や、体制への反感すらシステムに組み込まれてしまうことの不自由さが、自分には許せなかった。

 

学園に入って5年目、6年目の最後の課題は、この箱庭の壁をどうハックできるのかということだった。自分の中で1つ大きな方向性として、このことを強く意識していた。そのために、複数の場所で、自分の権限の及ぶ範囲で、箱庭の規範からの逸脱を試みた行動を取った。その多くはつつがなく実行され、自分があの学園を去ってしまった今となっては元通りに修復されていることだろう。それでも、未だに記憶に新しいが、箱庭の壁に触れることができたと実感した出来事が確かにあったのだ。こちらの行おうとしたことが、制度上は実行できるはずのことが、不当にゆがめられたことがあった。自分が学園に入って、壊したいと願った箱庭の壁の、その一端に触れることができたのだということ。それがたまらなく嬉しかったのだ。そして、嬉しいと思ってしまったことは、すなわち敗北であった。自分は、6年かけて、箱庭の中を駆けずり回って騒ぎ立て、そのプログラムを謳歌し、終ぞその枠組みから真の意味で逸脱することはできなかったのだ。

 

6年が過ぎ、自分は学園から追い出されることとなった。箱庭の外側には、小学生の頃に反吐が出るほど嫌っていた社会が相も変わらずクソなまま存在していたが、ようやく箱庭から出られて、晴れ晴れしい気分だった。大学では、自分の人生において18年間依存しつづけてきた交友範囲から全く離れ、授業もロクに出ず、象牙の塔に殴り込みをかけた。自分自身のスキルとして肉体化されたものが、実際に価値を生み出していった。箱庭の外側は開けた世界であった。

 

箱庭の外に出ることで、その美しさは相対化され、よりただしく把握できるようにもなった。自分よりはるかに優秀な人間に囲まれ、闊達に議論し、場外戦術も上等で、何より余計な心配事をせずにただ未来の未確定なまま、ポテンシャルの塊のままに、何にも遠慮することなく、全力で生き続けられる環境というのは、本当に素晴らしいものだった。あの日々の渦中においては、外に出たいと願わずにはいられなかったし、箱庭の欺瞞を実感しその破壊を心から望んでいたが、いざ外に出てみれば、あの環境がどれほど素晴らしいものであったか思い知ることになった。そして、あの箱庭は二度と復元されない。かつて日々を過ごした人々と再会したとしても、かつてのようには戻ることはできない。不可逆的な変性を遂げてしまったのだ。もう可能性のままではいられない。きっと何者にもなれないとばかり思っていた僕らは、きっと何者かになれるのだというところまで来てしまったのかもしれないし、いよいよ覚悟を決めなければならない。

 

自分の限界も知って、他人の使い方も知って、努力の辛さも、才能の残酷さも知って、環境のありがたみも、その不自由さも知って、将来の仕事とか、家庭のこととか、お金のこととか、クソみたいな、どうしようもなくくだらない現実のことを考えないといけなくなって、周りにはクソもバカもカスもいっぱいいて、話も通じないし相性も合わない人間が増えてきて、それでも自分が本当にやりたいことを貫き通し、現実的な範囲で理想主義的に振舞い続け、冷笑しながら常に内心の熱を絶やさず、全力で生きて死ななければならない。その対価として、かつて箱庭にいただけの頃には決して手に入らなかったような規模のシステムを自分が動かせるようになった。クソみたいな社会だけれど、社会の中で生きるからこそ、その無駄に大規模な構造の力学を通じて、箱庭にいたころ夢見たような大きな目標を達成できるのだろう。まさにその道程において、ずいぶん遠いところまで来たものだとも感じる。かつて、学園に入学したばかりの頃の、疑心暗鬼で不安そうな目をした自分や、学園において虚勢の張り方を覚えたころの自分、箱庭から出たくてどうしようもなかった自分、すべての過去の自分が羨んで仕方なかったような場所まで到達したのだと思う。自分が殺意を込めて背中から刺してやろうとにらみつけ努力の糧に消費してやった人間たちが居た場所に、今の自分は近づいているのだとも思う。そういう道から外れて迷子になりながらも、進み続けてきた。

 

今もなお、自分の中には常に猛獣がいて、かつて箱庭で暴れていたころの勢いのまま、叫び続けている。今のままじゃだめだ。所詮自分は上の指導のもとで、上の取ってきた予算のもとで、上の計画の一環として物事に取り組んでいるだけじゃないか。金持ちの道楽で、彼らからしたら小銭程度の額をもらって、喜んでいるなんて惨めじゃないか。あいつみたいになりたくないのか。あいつの努力に憧れないのか。あいつの才能に嫉妬しないのか。あいつの環境がどれほど恵まれているのかすら自覚せず生きているやつをトップスピードで追い抜かして、偉そうな顔を憎悪と嫉妬で歪めてやりたくないのか。そう叫ぶ内心の獣がいる。自己実現は自己否定と一体である。

 

自分はあの学園の箱庭を脱出してもなお、新たな箱の中で暴れているにすぎない。早く就職し、働いて、働いて、箱を乗り換え続けて、いつか訪れる解放の日のために、生き続けなければならない。自分を手のひらの上で転がしてご満悦な人間が想定した自分の未来像を超越しなければならない。そのためには、箱庭の甘い記憶に執着してはならない。クソもカスも使いこなして、スケールを大きくしていこう。それでも、たまに思い出して、その度に、あの学園で外に出たいと渇望していたころの自分が持っていた、人生で最大規模のエネルギーを少しばかりでも取り戻したいものだ。

包摂されない精神、メタ的な友情

コミュニティにただ埋もれてみたい。素直な欲求があり、それは相反する行動によって常に裏切られてきた。裏切られたとはいっても自分の自己のしたことで、自己責任の範疇を出ない一人相撲である。しかし、いつになっても「しっくりくる」という感覚を得ることができない。

 

家庭や小学校における、自分の人生の最初の12年は、常に「ある第三極」として有り続けたと思う。どうしても、そこには敵と味方しかいなかった。いや、味方というよりは単に「敵ではない」ということを都合よく言い換えただけの、無害なだけの奴と言うべき存在である。つまり人生の最初の方で自分は家庭とか学校とかその種のコミュニティに終ぞ居場所を見つけることなく、諍いと休戦、勢力均衡の末、妥協的に見出された和解、そしてその破綻を迎えるという、どうしようもなく愚かな人間として生きていた。例えばそこに大人たちの愛が欠落していたのかというと、そんなことは恐らくなくて、別に殺されたわけでもないので幾ばくかの愛が会った可能性も十二分に想定されるのだが、それにしては愛のベクトルがぐちゃぐちゃになってしまっていたというか、つまるところ大人も僕も互いを見つめる気などなかったということなんだろう。子への愛が常に子の方を向いているとは限らないし、子が親からの眼差しに対し素直に可愛らしい目線をくれてやるわけでもない。

しかし、そうはいっても自分とその周囲との関係が随分と捻れてしまっていたのは事実であり、その原因はもはやわからないけれど、結論としては自分にとって産まれ落ちた家庭の居心地は最悪であり、小学校においても日々自らの尊厳をかけて馬鹿な大人たちと戦っていたということに尽きる。

 

中高は果たしてどうだったのかといえば、やはり馴染めたという感覚はない。個々人のレベルで言えば人生の中で最も愉快で優秀な人々と触れ合った貴重な時間であったが、しかしあの学校に対して自分は最後まで馴染んだという意識を得ることはなかった。学年に対しても、学校に対しても、どこか浮いた意識だった。所属する先は矢鱈と増やしたが、しかしどこにおいてもアウトサイダー的自意識というか、どこか一線が引かれていて、そこを超えて踏み入ることのできない内輪と外様の境界があって、自分は常にその境界線の向こう側から覗き込んでは少し足を踏み入れ、また離脱し、曖昧な距離感であった。踏み入ろうと思って踏み入ると、なにか違うなと感じてしまった。それは単純な劣等感や優越感とは異なる複雑な感情であり、言語化するなら結局のところ自分はある対立軸を巡る好戦的で挑戦的な関係性、あるいはメタ的に捉えて、その種の関係性を許容できるということに一定の相互の信頼を見出しているのかもしれない。そのことを、戦いにまで発展せずに確認する手段としての煽り合いだったのだろうか。煽りがコミュニケーションの道具として成立するためには愛がなければならなかった。あるいは、対立軸を解消し調和を目指すという形の友情に対して、自分は全幅の信頼を寄せることができないのだろう。それはどのような信頼も他者から裏切られ続けてきた末の防衛的な態度である。対立軸をとりまく友情の関係が破綻したとして、そこでの相互の信頼とはメタ的なものであり、破綻してしまえば簡単に「なかったこと」にできる。つまるところ、そもそも対立していたのだから友情などなかったと言ってしまえば、それははなからなかったことになる。対照的に、「仲がいいのだ」ということが強く意識された関係が崩壊すれば、それはどう言い訳しても言い逃れできない「信頼関係の毀損」であり、もはや自分はそれを直視し向き合うことのできない人間になってしまった。信じて裏切られるというプロセスは人間的成長のために必要であるが、過剰にその経験をしてしまうことは単に臆病な人間を育てるだけであり、まさしく今の自分である。

簡単に破棄できる、なかったことにできる、メタ友情の都合の良さを知ってしまえばもう戻ることはできない。あとはせめて共に過ごした時間の蓄積がその関係を彩り、肉付けし、実質的な意味を持つことのできる内容にしていくことを祈るしかない。

大学では、対立の構造を持つこと自体がある意味で「良くない」こととされている。気づいたら人間関係を維持できなくなっていた。中高ではメタ的な友人関係であっても時間の経過がある程度中身を与えてくれたのだろうけれど、大学ではそうはいかない。自分の内心を巣食う他者への不信や人間関係への懐疑を保ったまま人と付き合っていくしかない。うまく誤魔化し誤魔化しでやっていくしかない。今はどこにも居場所と感じられる場所などないが、それでもこの肉体と精神だけは自分の物だ。図々しく居座って、仕事をこなして、そこに机一つ分で良いから居候させていただこう。どうせ貴方がたの人間関係になど馴染めないし、居場所などないのだから、せめて一人でぽつんと座っているだけの居場所を貰えればそれでいい。あとは互いの仕事ぶりで物語ればいいのだから。それで許しては、もらえないだろうか?

原始の自分を救うために、何者かにならなければならない

最近、高校の同期の名前を目にすることが増えた。受賞や業績、何らかの責任ある立場、就職、輝かしい栄光の一歩目と言えば楽観的か。ともかく、それは喜ばしいことであるし、僕らが共有していた過去において何者でもなかったティーンエイジャーが今となっては何らかの形を得ていくのを感じている。アモルファス不定形であった人間としての抽象的で輪郭の曖昧なエネルギーの塊が、徐々にその熱量を落ち着かせつつ、次第に一定の位置を得ようとしていく、そんなソフトランディングの段階にあるのだろう。これからまさにテイク・オフするのだという意気込みであれ、その空路は定まりつつある。

大学の人々であっても勿論同様ではあるが、中高の人間については、その変化がよりわかりやすい分、どこか底冷えするような感覚を抱いてしまう。それは置いていかれてしまうのではないかという焦燥であり、とっくに失われたかつての日々が本当にもう失われたのだということを再確認させられる寂しさ、自分が仮に過去に拘泥したとしてもすでに不可逆的な変化が起こり始めてしまったのだから取り返しはつかないのであるという絶望、自分は彼らが彼らの道で遂げるような発展を、それとは違う形であれ自分の人生においても得られるのだろうかという不安、そして自分が将来夢に破れたり現実の前で疲れ果ててただ妥協的な毎日を消費し死を待ち続けるだけのくだらない人間に成り果て、誰とも向き合えなくなってしまわないだろうかという恐怖、それらの混ざったような感覚がまとわりついている。

 

あの高校を卒業してから5年目になるが、ようやくかつての自分から一定の距離をおいて見つめ直し、それを言語化できるようになった気がする。

僕は家庭環境においてやや複雑な側面を持っており、小学校も同様であったから、中高というのは逃避先だった。第一義的にそれはシェルターであった。話の通じる人間が世界にこれだけ存在しているのだということ自体が救いだった。しかし、自分は他人というものがどうしようもなく怖かったものだから、自分のごく素朴な側面を外部に提示するということはほとんど不可能であったのだと思う。それは多分に防衛機制的であり、家庭や小学校において形成された「孤高で反逆的な人格」の側面があった。あえて言えば解離的な側面が少しばかりはあったのかもしれない。少なくとも、より幼い頃の自分は、全てに対して万全の信頼を寄せるような純粋さがあったと思う。そしてその無警戒な部分は常に保持されていたけれども、自分の最も素朴な部分を提示しては負のフィードバックを受け続けたことでむしろ反動的に他者を寄せつけようとしないバリアができあがっていた。それはもう自我を獲得した7歳頃には出来上がっていたと思うし、親という最大の外部存在、あるいは敵との闘いを繰り返す中で洗練されていった感覚がある。

中高においてもやはり同様の「人格」があったと思うし、それらは口論や交渉を好み、扇動や折衝を通じて他者との関わりを得て、露悪的あるいは道化的であるよう努めることで、むしろ内面の部分が空疎である「ということにしている」感覚があった。わかりやすく「本当の自分」が存在しているわけでは全くなかったが、しかし人格のレイヤーとして中高の頃には終ぞ表に出ることのなかった部分が確実に存在していたと思う。

同様の状態のままに大学に進学し、そこは程々に過ごしやすく程々に地獄であった。入学当初は、中高の人格のレイヤーの表面にさらなるコーティングを意識的に行おうと努めていたが、それはすぐに破綻し、破綻してもなお強く自己を制御しようと試みるうちに感染症の影響で他者との交流のほとんどが途絶した。やはり最初の一年間で相当無理をしていたのだろうけれど、2年生以降はひたすらにメンタルの不調に悩まされていたし、かつて外側に向けていた攻撃性の方向が完全に逆転して自らを攻め続ける内面世界が確立されていた。

やはり、家庭や小学校での日々を通じて形成され、中高の日々を支えていた人格/自己という装置はそれだけで生きていけるほど長続きするものではなかったし、そしてそれを無くしてどう生きていけばいいのかという指針など全くなかった。自分を責め続けることで何かが変わるかもしれない、という望みが救いであった部分もあるのだと思う。ひたすらにそのような日々を過ごしていた。その日々を繰り返す中では自死を選択肢として常に検討していたが踏ん切りがつくということもなかった。

今現在では、ゆっくりと自己理解を深めながら、他者と細々とした交流のみを持って、精神的隠居の状態にある。解離というわけでもないので、自分の人格におけるいくつかの排他的な要素が、どうにか落ち着いて1つのあり方に着地されないものかと試行錯誤している。やはり、根本から自閉的な部分はあるのだろうし、コミュニケーションにおける他者への不信が根底にあるのは疑いようのないことであるから、自分にとって数少ない他者との関わりがある側面においてはリハビリテーションとなっているのだろう。

何者かになりたいという願望は、自分の場合には誤魔化し続けてきた内面世界の破綻を発展的に解消したいという切なる願いであったのかもしれない。だとすれば、自分が本当の意味で、客観的に「何者かになる」のは、遠い未来のこととなりうるだろう。そのときまでに、自分の周りの人たちはいち早く先へと進み、背中しか見えなくなっているのだろうか。他者への関心が薄い割に、自分の矮小さを思い知らされるときだけ都合よく尺度としての他人に目を向けてしまうのは、社会的動物たる人間としての自分に内在する愚かさであるよなあと痛感する。

かつて中高の頃に願っていた自己実現の欲求とは、もっと昔の小さな自分を救ってあげたいということでもある。露悪的かつ道化的なレイヤーの下に眠る、おそらく遠い昔には全面に出てきていたであろう朴訥な自分の原始の部分があって、それがほとんど死んでしまっているのは世界がクソだからであるわけだが、クソに適応するためにクソまみれになってしまったから余計にコアの部分は奥の方へと埋もれてしまったような感覚があり、せめてもの手向けとして、当時の自分が受け続けていた苦痛は未来において大成し自由に活躍するための動力になったのだ、決して無駄死にではなかったのだということを、明らかにしたいのかもしれない。ともかく、ここまで蓄積され続けてきた他者への不信や憎悪とか、下らない社会への不格好な適応とか、その裏で殺されてきた自分の一側面とか、すべてを大団円で終わらせるためにまだまだ終わるわけにはいかない。

どこまでも自分のために、自分が報われるために藻掻いてみたいと思う。他人の遠ざかる背中を見て絶望しても歩み続けるしかないし、そんなものはそもそも何度だって感じてきた。苛烈に努力しても第一志望の中学に受からず駅のホームから身投げするか考え詰めたとき、クソみたいな家庭から逃げるために可能性を潰して進学先を選んだときも、どれだけやってもまともなデータが得られず誰からも馬鹿にされていたときも、止まらずにただひたすらやり続けてきた。

そして最近ようやく自分は生きていいのだ、呼吸していていいのだと、生きていてもいいのかもしれないという実感を得ている。それは、自分のような人間は死ぬべきであるという長年つきまとってきた強迫観念からの部分的な解放である。その強迫観念こそが努力の原動力だったことを考えると今後の失速は免れないのだが、過去の自分を救うためにもまだまだ終わるわけにはいかない。

中学生のとき、急に涙が止まらなくなった日があった。家で夕食を食べ終わったあと、急に感情の爆発が起こって、自分は小学5年の頃にひたすら当時の担任から虐げ続けられていたのだが、そのとき初めて過去のことを親に告げてみたところ、なぜ当時言わなかったのかと叱責されてしまった。それはあなた達への信頼が全くないからだと返すと、余計に激昂させてしまい、ああやはりこの人たちはどうしようもないなと、今度は冷え切った内心の中でまた一つ絶望が増えたような感覚があった。

そもそも、最初に原始の自分を追い詰めて殺したのはあなた方であるということを、大学に入ってから親に告げることができた。忘れもしない日であった。親からされたことをすべて思い出し、極力感情を殺しながら淡々と突きつけ続けていたら、数時間が経った頃には親が号泣していた。それは反省ではなく親という自己像の崩壊であり、すぐに責任転嫁が始まってしまった。絶望の債務整理をしても新しい絶望が降ってくるだけだった。家を出たことで客観視できるようになったのは自分だけだった。向こうは全く自己像を打破することなく、そこに拘泥すらしていた。

小学校のクソみたいな教師のところに押しかけてすべてを精算できたらどれほど救われるんだろうと夢想することがある。しかし、親相手のケースを考えればこれもきっと無駄足なんだと思う。

救われるためには過去の精算ではなく、未来へと向かう圧倒的な質量の努力と結果が必要だ。前へ先へと身を乗り出して没頭しなければならない。死ぬほど馬鹿にしてくれた、否定してくれた親や教師、クソガキ、見る目のない馬鹿共に中指を立て唾を吐きかけながら、心の奥底に眠る死にかけの自分に救いの手を差し伸べてやらなければならない。君が耐え忍んでいた日々は必ず報われるのだと残りの人生で証明しなければならない。

ストイック、ハリネズミのジレンマ、居ていい場所

久しぶりに投稿しようと思う。やはり、人間というものは簡単には変われないらしい。もはや読者などいないブログに今更文章を掲載するのは、時間を超えて自己と対峙するための装置が欲しいからである。他者に見える形で言語化するということから逃げてはならない。それは必ずしもインターネットである必要はないが。

 

お世話になった先輩が卒業する。その事実はプログラムされた既定路線であり、予期することなど誰にでもできたことだが、喪失感とはいつだって遅れてやってくるものだ。追いコンと称した馬鹿騒ぎのあと、先輩からかつてもらった手紙を読み返していた。その手紙は、大学2年の秋冬、僕が人生におけるnadir、どん底にいた頃にもらった一通だ。当時の精神状態は、客観的に言えばDSM-5で言うところのdepressionであった。誰からも承認されないし、認められるような実績も出せない、誰かと笑い合うような居場所も時間もないような状況だった。いくら書き記しても表現しきれない絶望の中にいた。ウィスキーで泥酔したまま雪の上に寝転がり、星を見ながら死のうとして翌朝目覚めるような時期があった。そんな最中に手渡された鯖缶と一通の手紙は当時の自分にとって数少ない他者から贈られた言葉であり、指針となりうるものだった。

その手紙において語られていた「僕」は、以下のようなものだった。

...○○くんのストイックさとか、感じる孤独をバネにする力はすごいと思う。純粋に尊敬してる。でも、いつか君が「居ていい場所がある」っていう事実を、受け入れられる日が来たら嬉しいなと、そう思います。...「居ていい場所」はあるはずだよ。(引用終)

 

「居ていい場所」となりうる人は、その後に少し増えた。泥酔しながら号泣してもう何もかもやめたいと叫んだ日々も、次第に成果へと繋がっていった。傍から見れば、それは順調な船出であった。しかし、自己との対話とは、本来は外部環境が落ち着いてからこそ始まるものであるという古典的なお話を、自分は嫌というほど思い知ることになった。

 

結局のところ、ストイックであることは他者からの逃避であった。自分は他人というものに向き合わず、社会に嫌々適合するために表面的なプロトコルを実装しているだけだった。他者の人格というものから逃避していた。それは自己防衛であり、つまるところ他人に変えられるほど関わることへの不安や拒否反応のようなものだった。だからこそ、他者に提示する自分はストイックでなければならなかった。泥臭くがむしゃらに努力し続ける、必死こいてダサくやってる奴。報われなさそうで、魅力的でもなくて、自己に閉じこもってそうな奴。そういう自己像を構築し、他者に提示することで、他者から「すごそうだけど、怖いし、なんかよくわからない人」という偏見を勝ち取り、そういう人間は表面的な称賛のみをもらうだけで遠ざけられるので、コミュニケーションが取りやすくなるのだ。

 

自分は他人に対して積極的になることもない。それは、自ら他者に干渉することがハラスメントにならないかという忌避感、さらにいえば自分のようなみすぼらしい人間が関わることで不快感を与えないかという懸念で、しかもその懸念は「拒絶されたくない」というあくまで自分本位のものである。他者を思いやる素振りで社会的に誹りを受けないよう予防線を張りながら――誰もお前のことなど見ていないのに――その実、自分のことばかり気にしているのだ。だから、人から誘われない限り誰かと遊ぶこともない。そして当然のごとく訪れる孤独を前に、日々空虚感を抱えながら、目の前の仕事に向き合っている。ストイックだね、と言われながら。

 

他者と関わる口実は、コミュニティだった。コミュニケーションには免罪符が必要だった。自分のような人間が他者と関わらせていただくためには、同じコミュニティに所属していることが必要だった。それらがなければ、何を話したらいいのかもわからないし、関わろうとするときの言い訳も存在しなくなってしまうからだ。しかし、そんな都合のいい場所ももはや消滅してしまった。

 

年上からの誘いは断らなかった。後輩には干渉しなかった。その結果、学生としての寿命が減っていくにつれて、関われる人間が減っていった。結局、ストイックな自己像にしがみついて、その内心の脆弱性を必死に取り繕っていたら、残ったのは孤独だった。手紙の先輩が最後にかけてくれた言葉は「君が私をちょっとは先輩にしてくれたと思う」というものだった。そして、「いつかは後輩を救ってあげてね」というものだった。僕は、いつまでも先輩にはなれないんでしょう。背中ばかり追いかけていることがどれだけ楽かということ。誰にも背中を追いかけてほしくはないのだ、その小ささに気づかれたくないし、いつ傷つけられるかもわからないし、気づいたら誰もついてこなくなってしまうかもしれないなら、最初から最後まで自分は追いかける側でいたかったです。そんな言葉を言おうにも、自分がお世話になった先輩はほとんど消え去ってしまった。

 

最近の日々について話そう。もはや、燃えるようなモチベーションは存在しない。無心で手を動かし、足を動かしている。忙しいかどうかはよくわからないし、プレッシャーやストレスというものがどのようなものであったかもよくわからなくなってしまった。感情の色がだんだんと減っていき、快-不快くらいしか無くなってしまったような感覚もある。趣味もない。散歩すらあまりしなくなって、ジャンクな食べ物を食べたり、睡眠を取ったり、適当に射精したり、3大欲求を雑に満たすくらいしかやりたいことがなくなってしまった。かつて抱いた憧れは次第に殺意に変わり、そして今や何も思うことはない。それでも、始めたことをやめたくはないのだ。続けたいのだ。それはストイックな自己像を今更辞めてしまったら、本当に何もなくなってしまうからである。自分が縋りつけるものはもはやそのくらいしか残っていない。コミュニティもほとんどなくなった。打ち込めるものもない。

 

動き出したら止まらないのだ。内心には孤独が巣食っている。自分と話してくれる僅かな人はいるが、そういう人たちから最近「キツいと感じることがある」とちょこちょこ言われてしまった。ストイックであることは他者に苦痛を与えるらしい。自分が自分に押し付けている自己像であっても、世界に存在している限り自己の中で完結することはなく、世界への向き合い方にその有害性が現れてしまうのだと思う。それは、切磋琢磨して競い合うような攻撃的コミュニティであれば有効に活かされるのだろうけれど、少なくともじっくり相互に対話したいという状況では有害でしかないのだろう。そういうレベルの関わり方をしようと思えるような相手だからこそ、単なるstoicismはもはや有害でしかないのだと思う。ハリネズミのジレンマという言葉がよぎる。

 

本当に居ていい場所はあるんですか。僕が縋りついてきた自己像は、深く関わろうとした相手を無自覚に傷つけ、疲弊させるのでしょう。棘が刺さるんでしょう。でも、今更それをやめたところで、もはや自分にはなにもないのです。疲れ切った肉体、眠気に縛られた鈍い思考、他者を意識すると硬直する意識、空っぽの生活、ガラクタだらけの部屋、通知のこないLINE、心に響かないTwitter、常に雑務やそれに関連して強い叱責を浴びないか今の計画が破綻しないか恐怖する未来予測、寝付けない夜、起きれない朝、ぎこちない義務的な会話、そんな人生をいつまで続けていれば居場所は得られるのでしょうか。その居場所で僕の自己像は他者を傷つけないでしょうか。傷つけても許されるでしょうか。ストイックであることをやめたら次はどんなふうに生きればいいんでしょう。

聞く相手はもういない。答えてくれる人もいない。また明日から空っぽの日々が始まる。空っぽを雑務で埋める。他人と話せた日はどうしようもなく嬉しいのに、規定された自己像しか提示できず、ああまた上辺の褒め言葉、ああまた本音の拒否反応、一線引かれた瞬間の冷や汗、会話が終わるとホッとしている自分がいる。

 

今更死のうとは思わない。でも生きているという実感もない。自分が変われば本当に視界は晴れるのか?世界は変わるのか?

 

とりあえず、ストイックであることを他人に強要しないということを徹底したいと今は思う。他者への諦めこそが、自分が他人というものを無限遠に置き去りにする最後のピースだとは思う。それでも、社会的にうまくやるには、そういう諦観が必要らしい。諦めればいいならじゃあ諦めます、他人に何も求めないようにします、他人が自分に求めてきても自分は求めないようにします。いつか生きる理由がわからなくなって死んでも誰からも興味を持たれないようなクソつまらない人間になってやる。溢れ出る自我をむりやり自意識の中に閉じ込める。他人に漏れていかないように蓋をする。すぐには無理だろうけど、頑張って練習するから、社会の片隅で、石の裏側にひっそりと暮らすダンゴムシのように、それっぽっちでいいから居ていいと思える居場所が欲しい。