秋雨&時雨のブログ擬き

限界童貞の徒然なるままに綴った日常譚。

Re:Re:Re:Re:try

いつから、大学に立ち入ると動悸がするようになったんだろう。

それはコミュニティから排斥された(というより自ら堂々退場した)1年の終わりごろからだろうか。それとも、ラボで実験を繰り返し、毎日激詰めされ、できることが増えてもできないこと、わからないことばかりが堆積していく2年の頃だろうか。もはや覚えていないが、3年生になると大学で自分の居場所はとっくに喪失されていたし、人ごみの中で群衆の声、声、声、ノイズが飽和するその空間にぽつんと1人立ち尽くしているだけで全員をぶっ殺してやりたいと衝動的に思ってしまう憤怒の中に閉じ込められていた。とっくに、自分は人生を自らの手で生きているのだという主体感を失っていた。毎日砂を噛むような、不快感。耐えきれないのに、どこか別の世界の自分/今の自分との遮断を行う透明な壁があるようで、現実感のないリアル、そのつかみどころのないふわふわとしたところにいたような気がする。

ついに6年の牢獄を脱するときがきたのだ。国家試験もおそらく受かった。論文もとりあえずリバイスをどう対応するかのめどがついた。僕がやることはほぼ終わったといっていいだろう。疲れた。疲れた。本当に疲れた。ああ。ようやく解放されるのだということ。労働の方がつらいのかもしれないが、しかし、決められたことを達成できるようになるということは、何も決まっていない白紙に拙い手つきでクレヨンを塗りたくっては叱られ、しかし書き続けないといけないという、迫りくる焦燥に比べれば、いくぶんかマシではないのか。その答え合わせにはもう5-6年くらいかかるかもしれない。

いくらでもやればいいと思う。やりたいことを。リカバリできるのであれば失敗は失敗のうちには入らないのだから。何度も何度も叱られてきたが、学生という身分が幸いしたのもあってか、最後の送別会は大団円だった。人間から存在を祝われるというのは、自分の人生においてはめったに、めったになかったことだが、それがラボテク奴隷的な意味合いであったとしても、少なからず惜しんでもらえたということが自分にとっては嬉しいことだった。そんなこと今まであったか。憎まれっ子世に憚るとは言うものの、憎まれっ子が歓迎されたり、別れを惜しまれたりすることはそうそうないのだから、なかなか珍しい感覚だった。入学当初から廃工場みたく色あせたモノトーンのつまらないキャンパスだなと思って眺めていたこの辺り一帯に、自分の居場所と呼びうるようなところか、少なくとも1か所はあったようだ。

それでも、居場所があったのだなと気づいたのは別れのタイミングだったというのが悲哀であり、あるいはそういう機会でもないと私は存在を承認してもらう機会には恵まれないのだろうというのは、物悲しいところである。私にとってこの6年は苦行だった。本当に本当に苦しい日々だった。色あせない青春の思い出と呼びうるようなものはあったんだろうか。高校3年の運動会、後輩たちが準決勝で番狂わせの勝利を収めて、すわ優勝か、というあの瞬間よりも心が躍る、今を生きている、そういう出来事があっただろうか。あるとすれば論文のacceptだったんだろうが、残念ながら、それは在学中には達成できなかった。

ひと段落がついてしまい、これからの人生をどう生きればいいのかよくわからなくなってしまった。というより、そもそも自分は別に臨床医に対してそこまでの熱意など持ってはいないし、研究というものに対してあまりにも無知で、無垢であったころ、そこに見出していたようなものが結論としては幻想にすぎなかったのだということを、じっくり、しかし確実な手段で教え込まれてしまったのだから、もはや自分が医学部/病院近辺にいたところで、何をやっていけばいいのかわからないのだ。医学は楽しいし、幸い医者をやっていてくいっぱぐれることはないだろうと信じてはいるが、昨今の情勢では正直なんとも言えないところだろう。

自分のやりたいことは結局なんなのかといえば、安心していられる場所を見つけることにあるのだろう。それはやはり家庭的なものに回帰する。自分がやりたいことというのは本当に信頼できる人間と着実に愛をはぐくみ生活を構築していくという、堅実で凡庸なことに過ぎなかったのだろう。何者かになりたいと思っていた日々もあったが、それは難しいことで、本当に難しいことで、そして大成した先にあるものは必ずしも幸せではなく、そうした人々が最終的に戻ってくる場所の典型として家庭的な居場所というのは確実にあると思う。そうであるならば、どれだけ努力して大成したとして、幸福の総量を決定する因子はそこにはないのかもしれないと最近は思う。これは、負け組の戯言かもしれないが。

色々紆余曲折を経て、右往左往して、ノリで結婚してみるかもしれない。まあ、意思決定にかける時間というのは極論無駄で、大事なのは間違った意思決定を行ったときのリカバリーである。その観点から私は1回の婚姻をやたら吟味するよりは、まず結婚してみて、その上でいろいろ回してみてダメそうだったら破局しそこでの学びを次に反映させる、そういう改善のための構造化されたプロセスに取り組んでみたいと思うようになった。僕が早々とノリで入籍してたらすまん。

まあ、人生詰んだら自分で死ぬだけである。そのスタンスは昔から変わらない。つまるところ、私は幸せになるための行動を選択していくのであり、死んだ方がマシなら本当に死ぬということである。

というわけで、皆さんもよき人生をお送りください。