秋雨&時雨のブログ擬き

限界童貞の徒然なるままに綴った日常譚。

箱庭への郷愁

箱庭の壁は、いつか破壊しなければならなかった。

かつての自分は、中高あの学園にいながら、どうしようもなく外の世界を欲していた。どうあがいても所詮ただの子供、身分制社会。中高一貫の環境では、やはり鬱屈とした莫大なエネルギーが暴走するもので、同級生と結託して校外での活動に精を出したり、学内から学園の根幹的な部分を破壊しようと試みたりしていた。誰かの手のひらの上で踊らされていても何も進まないのだということ。行動しなければならない、その衝動だけが暴れていて、どうすればいいのか、この文脈でいう「いい」とは何を指しているのかという洞察をあえて保留していた。

 

常に言いたいことがあった。やりたいことがあった。その内心に埋もれたモノを、どう具体化すればいいのかわからず、苦悩していた。それをひたすら出力しつづけ、他者にぶつける過程こそが、自分にとってのコミュニケーションであり、世界に初めて他者の居場所が生まれた瞬間だった。そして学園への入学から数年が経過し、ようやく自分の爆発的なエネルギーを制御することができるようになった。猛獣を飼いならさなければならない。内心の猛獣を自在に操作できるようになり、ようやく破壊衝動を自覚したのだ。

 

箱庭は自分を受容してくれた。居場所を提供してくれた。自身の出力に耐えて、それ以上に破壊的な返信をよこしてくる他人の存在をも与えてくれた。その箱庭では、充実したリソースが存在し、学園の生徒が大勢で成果を成し遂げるシステムが備わっていた。思う存分精力的に活動し、他者の存在を組み込んだ上で、ある種の自己実現を遂げるということの充実感を味わうことができた。

 

しかし、結局そこで終わってしまう。プログラムされた手続を、大人たちのお膳立ての上で遂行する。自分の生活は家庭により成り立ち、経済的な不安も一切抱えることなく、本当に面倒な部分はすでに済まされた状態で、「おいしい部分」だけを味わう。それが欺瞞でなくて、なんだというのだろうか。学園に入り4年が過ぎたころには、その確信が芽生えた。安易なアンチテーゼは学園の歴史において何度も提起され続けてきた。それでもなお、生徒の間に自治という名目の管理ー被管理構造が導入されていることにより、箱庭への反感を抱いた人間すらシステムに包摂されてしまう。強固な全体主義の中で、叛逆すら集団の前進の糧として消費されていく。

 

あの学校は自由を謳っていた。自治を謳っていた。それが、世間の有象無象の学校と比べたとき確実に優位な利点であることは疑うまでもないが、それでも、自由の輪郭を構成する箱庭の壁の存在が目についた。自治という言葉に含まれる、管理ー被管理の構造や、体制への反感すらシステムに組み込まれてしまうことの不自由さが、自分には許せなかった。

 

学園に入って5年目、6年目の最後の課題は、この箱庭の壁をどうハックできるのかということだった。自分の中で1つ大きな方向性として、このことを強く意識していた。そのために、複数の場所で、自分の権限の及ぶ範囲で、箱庭の規範からの逸脱を試みた行動を取った。その多くはつつがなく実行され、自分があの学園を去ってしまった今となっては元通りに修復されていることだろう。それでも、未だに記憶に新しいが、箱庭の壁に触れることができたと実感した出来事が確かにあったのだ。こちらの行おうとしたことが、制度上は実行できるはずのことが、不当にゆがめられたことがあった。自分が学園に入って、壊したいと願った箱庭の壁の、その一端に触れることができたのだということ。それがたまらなく嬉しかったのだ。そして、嬉しいと思ってしまったことは、すなわち敗北であった。自分は、6年かけて、箱庭の中を駆けずり回って騒ぎ立て、そのプログラムを謳歌し、終ぞその枠組みから真の意味で逸脱することはできなかったのだ。

 

6年が過ぎ、自分は学園から追い出されることとなった。箱庭の外側には、小学生の頃に反吐が出るほど嫌っていた社会が相も変わらずクソなまま存在していたが、ようやく箱庭から出られて、晴れ晴れしい気分だった。大学では、自分の人生において18年間依存しつづけてきた交友範囲から全く離れ、授業もロクに出ず、象牙の塔に殴り込みをかけた。自分自身のスキルとして肉体化されたものが、実際に価値を生み出していった。箱庭の外側は開けた世界であった。

 

箱庭の外に出ることで、その美しさは相対化され、よりただしく把握できるようにもなった。自分よりはるかに優秀な人間に囲まれ、闊達に議論し、場外戦術も上等で、何より余計な心配事をせずにただ未来の未確定なまま、ポテンシャルの塊のままに、何にも遠慮することなく、全力で生き続けられる環境というのは、本当に素晴らしいものだった。あの日々の渦中においては、外に出たいと願わずにはいられなかったし、箱庭の欺瞞を実感しその破壊を心から望んでいたが、いざ外に出てみれば、あの環境がどれほど素晴らしいものであったか思い知ることになった。そして、あの箱庭は二度と復元されない。かつて日々を過ごした人々と再会したとしても、かつてのようには戻ることはできない。不可逆的な変性を遂げてしまったのだ。もう可能性のままではいられない。きっと何者にもなれないとばかり思っていた僕らは、きっと何者かになれるのだというところまで来てしまったのかもしれないし、いよいよ覚悟を決めなければならない。

 

自分の限界も知って、他人の使い方も知って、努力の辛さも、才能の残酷さも知って、環境のありがたみも、その不自由さも知って、将来の仕事とか、家庭のこととか、お金のこととか、クソみたいな、どうしようもなくくだらない現実のことを考えないといけなくなって、周りにはクソもバカもカスもいっぱいいて、話も通じないし相性も合わない人間が増えてきて、それでも自分が本当にやりたいことを貫き通し、現実的な範囲で理想主義的に振舞い続け、冷笑しながら常に内心の熱を絶やさず、全力で生きて死ななければならない。その対価として、かつて箱庭にいただけの頃には決して手に入らなかったような規模のシステムを自分が動かせるようになった。クソみたいな社会だけれど、社会の中で生きるからこそ、その無駄に大規模な構造の力学を通じて、箱庭にいたころ夢見たような大きな目標を達成できるのだろう。まさにその道程において、ずいぶん遠いところまで来たものだとも感じる。かつて、学園に入学したばかりの頃の、疑心暗鬼で不安そうな目をした自分や、学園において虚勢の張り方を覚えたころの自分、箱庭から出たくてどうしようもなかった自分、すべての過去の自分が羨んで仕方なかったような場所まで到達したのだと思う。自分が殺意を込めて背中から刺してやろうとにらみつけ努力の糧に消費してやった人間たちが居た場所に、今の自分は近づいているのだとも思う。そういう道から外れて迷子になりながらも、進み続けてきた。

 

今もなお、自分の中には常に猛獣がいて、かつて箱庭で暴れていたころの勢いのまま、叫び続けている。今のままじゃだめだ。所詮自分は上の指導のもとで、上の取ってきた予算のもとで、上の計画の一環として物事に取り組んでいるだけじゃないか。金持ちの道楽で、彼らからしたら小銭程度の額をもらって、喜んでいるなんて惨めじゃないか。あいつみたいになりたくないのか。あいつの努力に憧れないのか。あいつの才能に嫉妬しないのか。あいつの環境がどれほど恵まれているのかすら自覚せず生きているやつをトップスピードで追い抜かして、偉そうな顔を憎悪と嫉妬で歪めてやりたくないのか。そう叫ぶ内心の獣がいる。自己実現は自己否定と一体である。

 

自分はあの学園の箱庭を脱出してもなお、新たな箱の中で暴れているにすぎない。早く就職し、働いて、働いて、箱を乗り換え続けて、いつか訪れる解放の日のために、生き続けなければならない。自分を手のひらの上で転がしてご満悦な人間が想定した自分の未来像を超越しなければならない。そのためには、箱庭の甘い記憶に執着してはならない。クソもカスも使いこなして、スケールを大きくしていこう。それでも、たまに思い出して、その度に、あの学園で外に出たいと渇望していたころの自分が持っていた、人生で最大規模のエネルギーを少しばかりでも取り戻したいものだ。