秋雨&時雨のブログ擬き

限界童貞の徒然なるままに綴った日常譚。

包摂されない精神、メタ的な友情

コミュニティにただ埋もれてみたい。素直な欲求があり、それは相反する行動によって常に裏切られてきた。裏切られたとはいっても自分の自己のしたことで、自己責任の範疇を出ない一人相撲である。しかし、いつになっても「しっくりくる」という感覚を得ることができない。

 

家庭や小学校における、自分の人生の最初の12年は、常に「ある第三極」として有り続けたと思う。どうしても、そこには敵と味方しかいなかった。いや、味方というよりは単に「敵ではない」ということを都合よく言い換えただけの、無害なだけの奴と言うべき存在である。つまり人生の最初の方で自分は家庭とか学校とかその種のコミュニティに終ぞ居場所を見つけることなく、諍いと休戦、勢力均衡の末、妥協的に見出された和解、そしてその破綻を迎えるという、どうしようもなく愚かな人間として生きていた。例えばそこに大人たちの愛が欠落していたのかというと、そんなことは恐らくなくて、別に殺されたわけでもないので幾ばくかの愛が会った可能性も十二分に想定されるのだが、それにしては愛のベクトルがぐちゃぐちゃになってしまっていたというか、つまるところ大人も僕も互いを見つめる気などなかったということなんだろう。子への愛が常に子の方を向いているとは限らないし、子が親からの眼差しに対し素直に可愛らしい目線をくれてやるわけでもない。

しかし、そうはいっても自分とその周囲との関係が随分と捻れてしまっていたのは事実であり、その原因はもはやわからないけれど、結論としては自分にとって産まれ落ちた家庭の居心地は最悪であり、小学校においても日々自らの尊厳をかけて馬鹿な大人たちと戦っていたということに尽きる。

 

中高は果たしてどうだったのかといえば、やはり馴染めたという感覚はない。個々人のレベルで言えば人生の中で最も愉快で優秀な人々と触れ合った貴重な時間であったが、しかしあの学校に対して自分は最後まで馴染んだという意識を得ることはなかった。学年に対しても、学校に対しても、どこか浮いた意識だった。所属する先は矢鱈と増やしたが、しかしどこにおいてもアウトサイダー的自意識というか、どこか一線が引かれていて、そこを超えて踏み入ることのできない内輪と外様の境界があって、自分は常にその境界線の向こう側から覗き込んでは少し足を踏み入れ、また離脱し、曖昧な距離感であった。踏み入ろうと思って踏み入ると、なにか違うなと感じてしまった。それは単純な劣等感や優越感とは異なる複雑な感情であり、言語化するなら結局のところ自分はある対立軸を巡る好戦的で挑戦的な関係性、あるいはメタ的に捉えて、その種の関係性を許容できるということに一定の相互の信頼を見出しているのかもしれない。そのことを、戦いにまで発展せずに確認する手段としての煽り合いだったのだろうか。煽りがコミュニケーションの道具として成立するためには愛がなければならなかった。あるいは、対立軸を解消し調和を目指すという形の友情に対して、自分は全幅の信頼を寄せることができないのだろう。それはどのような信頼も他者から裏切られ続けてきた末の防衛的な態度である。対立軸をとりまく友情の関係が破綻したとして、そこでの相互の信頼とはメタ的なものであり、破綻してしまえば簡単に「なかったこと」にできる。つまるところ、そもそも対立していたのだから友情などなかったと言ってしまえば、それははなからなかったことになる。対照的に、「仲がいいのだ」ということが強く意識された関係が崩壊すれば、それはどう言い訳しても言い逃れできない「信頼関係の毀損」であり、もはや自分はそれを直視し向き合うことのできない人間になってしまった。信じて裏切られるというプロセスは人間的成長のために必要であるが、過剰にその経験をしてしまうことは単に臆病な人間を育てるだけであり、まさしく今の自分である。

簡単に破棄できる、なかったことにできる、メタ友情の都合の良さを知ってしまえばもう戻ることはできない。あとはせめて共に過ごした時間の蓄積がその関係を彩り、肉付けし、実質的な意味を持つことのできる内容にしていくことを祈るしかない。

大学では、対立の構造を持つこと自体がある意味で「良くない」こととされている。気づいたら人間関係を維持できなくなっていた。中高ではメタ的な友人関係であっても時間の経過がある程度中身を与えてくれたのだろうけれど、大学ではそうはいかない。自分の内心を巣食う他者への不信や人間関係への懐疑を保ったまま人と付き合っていくしかない。うまく誤魔化し誤魔化しでやっていくしかない。今はどこにも居場所と感じられる場所などないが、それでもこの肉体と精神だけは自分の物だ。図々しく居座って、仕事をこなして、そこに机一つ分で良いから居候させていただこう。どうせ貴方がたの人間関係になど馴染めないし、居場所などないのだから、せめて一人でぽつんと座っているだけの居場所を貰えればそれでいい。あとは互いの仕事ぶりで物語ればいいのだから。それで許しては、もらえないだろうか?