彼女を母校の文化祭に連れていく男子校出身者は馬に蹴られて死んじまえ
「彼女を母校の文化祭/運動会に連れていく男子校OB」は極めてニッチな領域に生息している。限界拗らせ童貞を自認するところである私自身はそのような軽薄の極みである行為に手を染めたことは一度もなく、己の潔白をここに主張させていただく。
しかし、世間、ごく狭い世間、具体的には「男子校出身者が大学に進学していくばくかの時間が流れたあとあまりにも幸運なことに彼女ができる」という出来事がそこそこの頻度で観察されるコミュニティにおいては、男子校出身者が母校の文化祭や運動会に彼女を連れていくという行為がそれなりにあるあるらしい(女性視点では、憎むに憎めないが別に嬉しいというわけでもない微妙なあるあるとして語られているらしい)。
この行為のことを、私は「母校の関係者に自分の彼女を見せつける顕示欲」であるとみなしていた。そして、心底冷笑していた。特に、自分自身が在校生として文化祭や運動会に献身していたときには、どや顔で女子大生をつれてくるタイプのOBをぶっ殺してやろうかと憎んでいた。その殺意には一定の合理性というか、情状酌量の余地があるだろう。比較的美人な女子大生が多かったように記憶しているのは、当時の私が男子校の呪いによってその美意識をゆがめられていたかもしれないが、ともかく当時の感情としては殺すぞという一言に尽きるのであった。
ところで、最近化物語を見直していたのだが、12話で阿良々木暦と戦場ヶ原ひたぎが星を見に行くシーンがあった。私が初めて化物語を視聴したのは小5くらいだったと記憶しているが、当時は「星なんか見てもしゃーないやん」という身も蓋もない、情緒もない感想を若干抱いてしまったのをよく覚えている。ただ、知人がその行動を「好きな人には自分の好きなものを好きになってもらいたいんだろう」と評していたのが印象的だった。
改めて見直してみると、戦場ヶ原の台詞は以下のようなものである。
「これで全部よ。」「私が持っているもの、全部。」「勉強を教えてあげられること。可愛い後輩とぶっきらぼうなお父さん。それにこの星空。私が持っているのは、これくらいのもの私が阿良々木くんにあげられるのは、これくらいのもの。これくらいで全部・・・。」(引用終)
戦場ヶ原ひたぎは自分が愛してやまない思い出の星空を阿良々木君にも見て、好きになってほしかったということなのだろう。そう思って見てみるとなんとも良いシーンである。
このことを理解した上で、改めて男子校出身者の奇行に立ち返ってみよう。すると、彼らにとっての母校の文化祭や運動会というのは、まさしく戦場ヶ原ひたぎにとっての星空のようなものなんだろう。そう思うと、ある意味極めてピュアな好意の表れなのかもしれない。
好意の一形態として自分が好きなものを相手にも好きになってもらいたいという欲望が存在しているのは、自他境界が曖昧になり溶け合っていくような感覚なのだろうか。健全か不健全かはともかく、その種の感覚に耽美するのも、若者らしくていいのかもしれない。"You can't be wise and in love at the same time."とはよく言ったものである。
...それはそれとして、男子校の文化祭や運動会に彼女を連れてくるOBは死んでくれ!