憧れで始めて殺意で続ける
クラクラするような熱射の中で、似合わないスーツに身を包み歩いていた。アスファルトの上でミミズが溶けてしまうような灼熱。来たる8月、陽炎が立ち昇るような8月が今から待ち遠しい。焼けるような炎天下で今すぐ死んでしまいたい。梅雨が明けるまであとどれくらいかかるだろうか。夏が来るたび、西日暮里のあの校舎に通い詰めた日々を思い出す。夏の茹だるような苦しさは、箱庭に閉じ込められているような、まさしく閉塞感と結びついていた。あの学校は箱庭的であり、シェルターであり、荒廃した外界から身を守るものだった。それと同時に真綿で絞め殺されるような感覚が常に脳を支配し、世界を呪った。
就職活動。セルフプロモーションといえば聞こえは良いが、単に中身のない商品を売りつける詐欺師の営みである。空っぽの人間であれば空っぽだからこそ何でも詰め込めるのだと強弁してみせる傲慢な虚構。いつか自身を精緻な贋作であると痛感し、ホンモノになりきれない存在だと、あるいはナニモノにもなれない存在だと絶望した日々の後遺症である。今少しずつ世界が回りだした感覚があり、少しずつ自分が世界に存在した意味を得られるのではないかという微かな希望が差し込んできた。それでも、就職活動のプロセスはあまりに欺瞞に満ちている。
自分は将来何をしたいのか。目の前の患者を治すことなど誰でもできると言える不遜さはもはや消失してしまった。クソみたいな臨床医なんていくらでもいる。研究で世界を救い己のレゾンデートルと成すことはあまりにも高い頂だ。やりたいことはいくらでもある。そのための時間と金と実力と運が足りない。何も足りない。ああクソ。
やり続けるしかないんだ。この道の先にはきっと何も無い。また何度も夏がやってきて、その度に焼き尽くされて、燃え尽きて、それでも続けるしかない。救いはない。はっきりいって今の自分はクソ以下だと思う。今すぐ自殺しても誰も困らない。社会の頑強なホメオスタシスによって、自分亡き後も正常へと回帰していく。あまりにも虚しい。クソ以下の人生。終わってる。
何者かになったって社会の奴らから搾取されるだけじゃないか。それじゃダメだ、手のひらの上で一流の踊り子になっても所詮末路は場末の売女だ。自分が今此処にいなければ実現しなかったと誰もが悔しがり、顔を歪めながらも認めざるを得ないような、輝かしい人生。眩しすぎて誰も直視できないような。
自分は、夏の太陽から目を背けるように、人生で出会ってきた才能の塊連中からシニカルに逃げ続けてきたのだと思う。才能も環境も兼ね備え、そして最強ストイック努力を難なくやってしまう連中。話すと楽しくて、意思疎通がトントン拍子で進んで、一緒に仕事すると楽しくて、憧れていた。自分もそうなりたいと思って、ない頭を回して、必死に真似て、対立構造を作って、自分がその渦中でプレイヤーをやれているようなスタンスを堅持し、まず外側から作っていった。自信に根拠がないやつはフェイクだが、それでも根拠のない自信から全ては始まる。憧れていたのだ。ああなりたいと。
眩しい太陽から目を逸らしていても、その燦々たる輝きへの憧れは隠せない。すべてそこから始めてきた。それでも、現実を知れば知るほど、憧れの色は濁っていく。目の輝きも失われる。死んだ魚の目で実存を求めて彷徨っていく。内心は荒廃し、世界を呪っていく。初心など疾うの昔に忘れる。憎悪のような、殺意のようなものを抱えて突き進んでいく。
就職活動とは全てフェイクのクソ儀式だ。それでも、ここで折れたら全ておしまいなのだ。今までやってきたことの末路がクソゲーで詰んでおしまいになるなんて、絶対にありえない。耐え難きを耐え、忍び難きを忍ぶ。臥薪嘗胆のメンタリティである。数年後、十数年後自分が勝ってなくても、勝手に嗤ってくる奴らも、どうせいくらでもいるだろう。それでも数十年後に嗤っているのは自分だ。