秋雨&時雨のブログ擬き

限界童貞の徒然なるままに綴った日常譚。

この度、時雨を卒業しました

ある学園を卒業した人間がいた。これは男子校、6年の監獄的猿山、異常の最下層を決する逆ピラミッドの呪いから抜け出せずにいた男の話である。

中学と高校は連結した一つの学園であり、その空間は強烈な個性のマウンティング会場だったことを印象強く覚えている。それはホモソサエティ的で、フェミニストが見れば発狂し、当時の言動はもし僕が総理大臣になったら3秒で文春がすっぱ抜いて垂れ流すこと間違いないネタの宝庫である。それらは露悪で、あるいは欺瞞で、あるいは偽善で、自己陶酔と自己嫌悪の自家撞着だった。攻撃性の刃は研ぎ澄まされて、例えばリアル、例えばTwitterで、その鬱憤のエネルギーは、ルサンチマンの結晶は、射精のごとくぶちまけられた。まあ、そんなゴミクズの精子も、2億個を毎日何百回も巻き続ければ、1000人余りのFFが構築されるのだ。このブログも、総アクセスが1万を超えた。そのうち、時雨は10万ツイートを超えた。100万回イキッた高校生は、相も変わらず抱えていた自己に対する不信感を、全て世界へのヘイトに還元することで、実際のスペックを凌駕する外面を実装して、そのまま惰性的に次のフィールドへと移行した。

新天地では伸展もなく、持て余した負のエネルギーをもてあそんでいた。社会性を実装しつつ、溢れ出る異常性はとめどなく、相変わらずの人間性が、またもや奇特な人々を引き付けた。いやまあこのあたりの自覚はないが。しかし、本質的な人間としての変化を遂げることはなく、中高という箱庭を脱してしまった空虚な内心を埋めるがごとく専門の知識を詰め込んでいるうちに、気が付くと1年生が終わっていた。周囲にいる人間は、気が付けば異常者ではなく、僕という人間のいびつさを認識しつつ、それでも支えようとしてくれる本当に異常な人間しかそこには残っていなかった。気が付けば、僕は牙も棘も抜け落ちていくのに、かつてそこにあった時雨という虚像に対して拘泥し、偽悪的な自己を自分に提示しつづけることで、人間としてつまらなくなっていく己の有様から目を背けていたのかもしれない。

2年になると、世界は感染症により激変した。人間関係はズタズタに引き裂かれ、孤立化して浮かび上がったのは己の人間としての醜さだった。あまりにも何もなかった。異常性に引き寄せられた人間とは所詮は観客であり、ショーが終わればそこには誰もいなくなってしまう。サーカスの幕を下ろせば、がらんどうの客席がやけに寂しい。内心の孤独を埋める手段を喪失して、僕を支えていたルサンチマンと努力の負のループはぶっ壊れてしまった。そこからは、それまで中高の間は外部に向け続けていた攻撃性のベクトルが逆転し、自己免疫疾患のごとく己の構築してきた精神性が己の構築してきた論理武装によって爆撃されて崩壊していく過程だった。あまりに滑稽である。酒におぼれ、落ちこぼれ、色々なことを投げ出して、身すら投げ出して、首つり練習に勤しんだ。希死念慮をすべて文章に書いた。それでもゾンビのごとく日々のタスクを消費していた。そんなとき、死ぬ前に話しませんか?という声に誘われて、導かれるままに契約彼女ができた。......あれ?僕が書いていたことは、呪うように語ったことは、この存在によって最後のピースが埋まるように完成し、作り上げた自虐の為の論理体系―——それは特別な承認者の不在を前提としていた―——が全て逆転し、完全に自己肯定を果たせるようになったのでは?つまり、そういう相手のいない自分という出発点が自己否定の重大な要素の1つであったことから、いざできてしまうと、それまでさんざん自身に向いてきた攻撃性のかなりの部分が解消されてしまうのでは?これは革命的な転回だった。こうして、中身の伴わない契約が成立した。

中身のない器があるならば、中に何かを埋めたくなる。そうして埋めたところで、所詮はある種のロールプレイで、駄作以下のTRPGである。スカスカの綿のごとく埋めていったその中身は本当に空虚で、本来は溜めたかった水のうるおいはどこにもなく、パッサパサの間質がただそこにはあった。現実の前で、ただ虚しさと、幸福感の贋作を胸に抱いていた。論理的に与えられた感情はぱさぱさで、食べられたものではなかった。

そうしているうちに、連絡もとらなくなった。ある日、数年来の付き合いの人と会うことになった。その相手となんやかんやあって付き合うことになった。セミロングの黒髪が似合う女の子だった。遠距離の関係性がスタートした。そしてある程度色々喋っているうちに、もはや明らかに書くつもりもないが、関係性の形式に満たされるべき感情を得たような感覚がしみ込んできた。こういうものが人間的な水分で、それを得ることで自分の渇水がより相対化され、強く認識されるようになるのか。あまり感情それ自体を描写するのは気乗りしない―——というのも、そういうものを詳らかにするのはあまりに精神的羞恥を伴うのである―——ので、周辺的な話をするにとどめておこう。停止した歯車が動き出しているのを感じているから、まあ別れるまでは精々黒歴史を垂れ流していこう。これからは、人に見えないところで。

 

まあ、時雨は死んだんだろう。あの芸風も今はやれないし、あのアカウントも今は全て消えた。当時から自分のアカウントを見ていた人間は(中高同期を除けば)今やほとんどFFにいないし、もうここまで凡俗に成り果てた自分は、完全にあの中高、あの当時の人格とは、不可逆的で非連続な質的変化を遂げてしまった。そして、過去の自分を否定して、今の自分を肯定してくれる人間が現れたことは、今の僕にとっては純粋に100%の救いだったのだ。ずるずるとつづけたアディショナルタイムも、もう終了だ。これからは地に足をつけて生きなければならないし、中二病もいい加減に根治させてやりたい。

このブログで、過去の自分の、特に恋愛とか承認欲求にたいする文章を読み返すと、それはそれで論破したくなる欲求にかられる節はあるけれど、もはやこの種の問題は議論によって見解の一致をみるものではないし、少なくとも当時、自分が抱えていた苦悩や、絶望や、そういうものは、間違いなく本物の感情だったのだ。過去を否定することは過去の自分がまさに抱いていた切なる感情の全てを否定することではない。むしろ、そういうことを全て理解した上で、それでもお前の言っていることは違っただろ、と突きつけることが、過去の否定なのだと思う。

最近、幸せになるために努力したいと思えるようになった。ルサンチマンで努力する地獄からようやく抜け出せた気がした。他人のことなど本質的にはどうでもよかったのに、自己否定の道具として利用するためにわざわざ他人を利用するのもやめた。人生を等身大で生きるしかないと悟ったのだ。

劇的な人間的変化は、大学2年間と少しの間、少しずつ棘を削り取ってくれた人間や、ひたすら自分を見つめ続ける作業を続けた自分自身、そして一度は尖るだけ尖りきって世界を嫌いに嫌った過去の自分が為したものなのだと思う。だから時雨にはそろそろ死んでもらわないといけない。最後に残った時雨の残滓がこのブログだから、ここらで筆を置いて、もう更新は停止されるだろう。いつになるかわからないけれど、昔こんなこともあったっけな、と馬鹿みたいに笑って過ごしているといいなあと、牧歌的なことをなんとなく思っている。まあ、このとおり、丸くなったものだ。自分でも笑ってしまう。

5月、初夏の涼しげな風が運ぶ香りと共に。

この度、時雨を卒業しました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

なんてね。ほぼ全部ノンフィクションです。