秋雨&時雨のブログ擬き

限界童貞の徒然なるままに綴った日常譚。

20年のどこで間違えてしまったんだろうか

成人した。クソすぎる。人になどなりたくなかった。というか、まさか本当に人生で一度も彼女ができないとは思っていなかった。なんだかんだで空から美少女が降ってくると思っていたし、角でイチゴジャムの塗りたくられたパンを咥えた女子大生とぶつかって始まるラブコメがあると思っていた。ある日、死にかけの吸血鬼を救って始まる青春群像とか、大学のサークルに未来人とか超能力者とか異世界人とか宇宙人がいるのだと思っていた。もしかすると脳内に選択肢が提示されるようになるのかもしれない、とか、クトゥルフ神話をモチーフとした美少女たちとパロディ塗れの日々を過ごしていたのかもしれない。ひょっとしたら隣の家の大金持ちの娘と同じ大学になって互いの好きな人との仲を応援しあっていたら自分たちが惹かれあう関係性が実現していたのかもしれない。隣の席の女子にからかわれ続け将来的に結婚する未来もありえた。トラックにひかれて異世界に転生して堕落した女神やロリ魔法使い、淫乱女騎士と冒険していたのかもしれない。アイドルグループのプロデューサーとして女の子たちの情熱と青春の衝突を陰ながら見守っていたのかもしれない。ああ、ifの可能性を考えれば考えるほどに現実の惨めさが際立つ。

現実を見ろ。お前は某政令指定都市の一角にある安アパートの、取っ散らかったワンルームで日々勉学と睡眠を繰り返している。時々性欲を発散したりコンテンツに浸り現実逃避をすることくらいしか娯楽はない。勉学に励むことが何か免罪符になると未だに思っているのか。勿論医大生は勉強すべきだが、単位をとる以上の勉強ははっきり言って趣味の領域だ。そして今の自分には趣味以外にやるべきことはないのか。お前の20年間はどこまでも自分本位だったじゃないか。何を現実に生み出した?何を変えた?何を残した?自殺願望があるのは結構だが、今すぐ窓から飛び降りたときに1週間たったら誰もお前の話はしなくなるだけだ。その程度のプレゼンスしかないのに死にたがるなんてそんな贅沢な話はない。誰かを救ったのか?誰かに影響を与えたのか?何か実績は残したか?どれだけ努力しても誰かの下位互換であることに変わりはないが、じゃあお前の上位互換と下位互換はどっちが多いんだろうな?

そもそも自虐という行為の生産性は0だという現実を知っているはずなのに、自虐の対象にならない自分を作ろうとしたことはあったのか?日々の努力の方向性と量のアセスメントは怠ってないのか?そもそも多方向に延びた努力に意味はないぞ、お前は将来何をやりたいんだ?まあお前はこういう質問に答えるのは得意だろうさ、じゃあ具体的に何をした?何もしていない。こんな人間が人に成ったと偉ぶったところで世界の笑いものになるだけだ。

ああ、最終目標は承認されることだよな。でもお前が承認されることはない。だってその理由が存在しない。いいところがないし他人に報いることをしてこなかった人間が誰かに認めてもらえたり受容されたりするわけがないだろ。20年間自分のことで手一杯だった程度のスペックの人間が今更他人を背負い他人に背負われようとするなよ。わかりやすく言えばお前を恋愛的な意味で好きになる人間は存在しないし、ただ単にショッキングな言動のセンセーションでなんとか最低限の影響力を確保してきただけなんだよ。そういう中身空っぽで表面的な装飾だけで生き抜いてきた人間は本当に空虚なんだよ。小中高くらいはギリギリお為ごかしでやってこれたかもしれないがもうその手法は通用しないぞ?キャパシティも凡人、努力量も凡人、コネも凡人、仕事の丁寧さも凡人、取り柄がないから言動を上手くコントロールして扇動という不確定要素を持ち込んでゲームを動かすやり方はいい加減に通用しないんだよ。お前は本質的に無能で、文字通り能力を持たないんだ、だからここで終わりなんだ。医師免許とかいう偏差値だけ高い人間がある程度の収入を得るための保険をゲットしてそのまましょうもない臨床医として生きて野垂れ死ぬだけだ。お前の高校同期や大学同期の一定数も同じような末路になるだろうが、逆に言えば一定数はお前を遥かに凌駕して大成するだけだ。

いやでもお前はまだどこかで期待しているはずだ。それでいい。一生幻想の中で生きて死ねばいい。お前はどこかでヒロインを待ってるんだよ。理想のヒロイン。承認してくれて、支えてくれて、励ましてくれて、受け入れてくれる存在だよ。顔もよければ中身もいい。そういう存在を待ち望んでるんだろ。現実に存在しないレベルでスペックを釣り上げて、それを理由に自分から現実を見限ったような風を装う割に、実際のところはお前が現実から見捨てられてるだけなんだよ。まあそれくらいは高校の時から自覚してるよな。でもあえて気づかないふりをして理想のヒロイン像を構築して妄想してオナニーするのは楽だし気持ちいいもんな。一生そうしていれば他人に迷惑はかけないし、排斥されることはないから、実際そういう人間の取るべき最善択は現実逃避だと思う。

さて、どんなヒロインがいいんだっけな?昔散々お前が挙げていた項目、全て覚えている。しかしその中で本質的に重要なことは何なのだろうと考えるよな。それはエピソード、つまり物語性なんだと思う。

別に彼女がフランス文学に精通している必要はない。というかお前も別にそこまで仏文読むわけじゃないだろ。どっちかといえばドイツなりイギリスなりの方が読んだ冊数で言えば多いはずだ。それなのにあえての仏文というチョイスは、自分の知らないことを彼女に優しく教えてもらいたいというある種の赤ちゃん返り的現象の1つなんだろう。他人に教えを乞うということは典型的な服従の一形式だ。でもそれはお前がフェミニストだからでもマゾヒストだからでもない。本能的に自分が他人に教えることなど何もないと理解していたからこそ、服従する側でいられる相手が欲しかっただけの話だ。フランスとか文学とかそういう要素はお前の衒学的な装飾の要素でしかない。別にその内容は古典力学でもアメリカ政治でもマクロ経済学でもいい。要は教えてもらうというイベント自体が重要だったわけだ。それはお前の無力さの裏返しにすぎない。

或いはこんなのもあったよな。高学歴だったか。これも同様だ。つまりお前は馬鹿な女と対置されることで自分がそんな女よりもどうしようもなく無能で馬鹿な存在であることが明確になることが嫌なだけなんだろ。最初から自分以上のスペックの人間を欲することは、自分がその相手と並べられたときに劣るスペックであることを正当化してくれる。そういう打算があったんだよな。

見た目の問題も同じようなものだろ。過度に美的なものを求めるのは、一緒に並んだ時に同じ程度の醜悪さの人間と並んでいたらそれは恋愛市場で同じ価値を持つ人間がマッチングしただけだもんな。お前の持論ではそんなものは生殖のための構造にすぎない。お前が欲しいのは生殖ではなく愛なんだよな。その気持ちはわかるよ。でもな、お前は外見も内面もクソなんだから、内面ならだれかに認めてもらえるとかそういう幻想は捨てておくべきだったよ。中高の頃もうすうすわかってたんだろうがそれでもどこかで一縷の望みを感じてたんだろうな。もうわかっただろ、そんなものはあり得ないんだ。

結局お前が理想のヒロインとして挙げてたものの大半は、悪趣味な衒学とか、自身の無力感とか、生殖と切り離された愛への信仰とか、そういうしょうもないものから構成され派生していたに過ぎなかったというわけだな。要は現実の女性になんかお前は最初から興味がなかったんだ。理想のタイプといってあげていた項目はお前自身の写し鏡で、お前は理想のヒロインの話をするとき現実の自分の姿を本当は捉えていたし、表現していたんだ。

ずーーーっとそうなんだ。お前は他人と向き合ってこなかった。他人を人間だと思わず、社会という機構の中で何等かの機能を実行する素子くらいにしか思ってこなかったんだよな。世界に人間は自分一人だと、少なくとも主観セカイにおいてはそれが本質的だと今でも思っている。だから他人と向き合うときに何を見つめたらいいかもわからないし、それは逆にいえば人間を求めれば求めるほど自分自身に縋るしかなくなるということなんだよな。世界に人間性を感じさせてくれるのは自分だけだものな。

結局お前は人間と向き合ってこなかった。向き合っているようで、相手との関係性の解釈に逃げていたというのが実情だよな。相手単体というより、相手と自分の間柄をどうとらえ、どう向き合うかということばかりに注力してきた。結局相手という人間そのものを把握せずとも、相手が発するコミュニケーション上のシグナルを解釈していれば関係性は(ある程度)構築できてしまう。そうやって表層的なコミュニケーションの遊戯ばかりやっていたら、その先に続くはずの「人間」を何時の間にか見失っていた。関係性しか見れないのは、結局自分本位な世界の解釈しかできないという点に尽きる。

理想のヒロイン。結局のところ自分を泥沼から救い上げてくれる存在が欲しいんだろう。僕が理屈を捏ねても全てを論理や情動で破壊し、僕という人間自体と向き合ってくれて、本気で変えようとしてくれる存在が欲しいんだろう。具体的な要素はもはや問題ではない。或いは、性別すら問題ではないのかもしれない。思えば性欲は女性で果たしてきたが、恋愛感情を一度も感じたことがない、というのは僕が実際のところ恋愛という一側面において本当に異性愛者なのかという疑問を投げかけている。そもそも恋愛感情を感じたことがない、というのは、感じた感情にこれが恋愛感情だよという符号を与えなければ把握できないのではないかという疑問にもぶち当たる。周囲の人間が自然に把握してきた恋愛という感情が僕にとっては理解できていない。この時点で本当に欠陥人間だと思うのだが、大学に入っても未だに恋愛という感情を感じられたことがない。

受容者、理解者、救世主、そういう存在が欲しいとは切に思うけれど、じゃあそういう存在に恋愛感情なるものを抱くのかと言われれば未知数である。全くわからないと言わざるを得ない。それは親友とか恩師とかではだめなのか。恋愛感情なるものはどうやったら得られるのか。男子校出身者が大学であいさつされただけで惚れるという話を信じていたのに、僕は誰からあいさつされても特別な感情が発生しないのだ。どうすればいいんだ。恋愛をしようにも、周囲の人間がやっており一定の社会的達成目標ともされる恋愛という行為をしようとも、そもそもその動機たる感情が湧き起こらないのだからどうしようもないじゃないか。それなのに周囲はますますその毒牙にやられていく。猫も杓子もその連関に取り込まれていく。全く共感できない。僕が他人の人格と向き合ってこなかったことが原因なのだろうか。そのせいで、つまりこの20年間の自分本位が祟って誰もが手中に収めている恋愛感情なるものを喪失してしまっているのだろうか。では、それは何かスイッチがあれば回復するのだろうか。そのスイッチは何なんだ。何もわからない。

自分本位という生き方が自分の行き詰まりの根本原因だとわかっても、もうやめられないんだよな。20年もやってたら癖はしみついてしまう。どうしようもなく足を縛る。なあ、僕はもう理想のヒロインの話なんてしたくでもできなくなってしまった。なんでもいい、理解者をくれ、受容者をくれ、恋愛感情をくれ、別に彼女が一生できなくていいから、性欲なんかじゃない本物の恋愛感情をくれ。もはやそれ以外に何も言えなくなってしまった。片思いは両想いより幸せとか言ってた某作品のヒロインがいたけれど、そもそも片思いすらできない人間からすると恋愛というゲームに参入できること自体が特権的なんだよ。楽しそうにしやがって、知らないところで盛り上がって、好き放題に泣いて笑いやがって。全くこちとら共感できないんだよ、理解できないんだよ、存在しないゲームの話を皆がしているような感覚なんだ。どんどん時間がたつほどに孤独になっていく。大学を卒業する頃には結婚する同期も出てくるだろう。そうしてだんだん孤独になって、そして最後まで自分はその果実に触れることなく、一生を終えるのか。このどうしようもない孤独感、絶望感とどう向き合ったらいいんだ。どうすればいいんだ。もう何もわからない。20年間のうちどこで間違えてしまったんだろう。家庭環境?遺伝?幼少期の生育?小学校?中高?もう取返しはつかない。この人生は失敗した。失敗したんだ。

クソ。生き地獄だ。